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能楽に興味を持った切っ掛け

はじめまして。
私は、ゆらゆらぶらぶらとしているサラリーマン、名もなきユラリ~マンことTsukami(ツカミ)と申します。

 人生の10分の3の年どきに入るころでしょうか、当時の上役が能楽を学ばれているというのは知ってはいたが、会社での合宿の時、ま、普通に自分なんかは慰安旅行な気分でいたのですが、早起きして山荘を出て自然の風を感じようと歩んでいた時、草むらから謎の「うたこえ」が聴こえてきたのである。ゆっくりとした動作で、腹の奥から唸るように言葉を表し、完全にそれはゾーンに入っていたのだと思うが、それから一度能楽堂には足を運んでいる、が、正直、さっぱりわからなかったというのが感想、二度目に行ったときは正直後ろ向きな気持ちを背負っていたと記憶しています。
あれから時は過ぎ、10分の5の年にそろそろ差し掛かろうとしていますが、時代の流れや世の中を見聞きするのに疲れていた頃、その疲れてしまう脳の癖(思考傾向)を抜け出す手掛かりになるのではとの理由からかな、再度、能楽堂に足を運びました。

二度目はないかと思っていましたが、気づけば今では年に3度は地方観覧に出かけています。

言うなれば、発する声、音にセラピーを感じるようになっていったのは感覚として確かです。
持ち寄った日々の思考の雑念や煩わしさが、音や声を聴き、感じるたびに浄化していくような・・・、観ている最中は無心の状態に届きそうなほど感覚が移入し、そこで緊張感が迫ってくる様は、まるで心理セラピーを受けてる時のような気心地に思えました。

今では、寝しなに聴いたり、在宅ワーク時は能楽を聴きながら行うのが普通となり、自身の脳だか心だか何だかどこかに触れ、それが開発されていくなかで、心身状態含めて、自分の中の何かが良いものになっていると感じます。

もともとのあるべき教えの内容や体系等を逸脱したところに私(このブログ)はいます。歴史や科学の勉強・・・苦手です。

死ぬまでには、全国の能舞台に足を運びたいですね。若いころ(もう若くないと言っている・・)はライブやコンサートに行きましたが、会場の年季や染み付いた空「気」を感じることが好きで、能舞台でいうならば、空間・照明・音響など「どこか未完成」なところにとても魅力を感じます。能舞台フェチとも言えますかね、雨の日は鏡松をただボーっと見ているだけでHPが回復し、晴れの日は白洲の反射光を浴びてMPが戻っていくという感じでしょうか、そう、人生はリセットボタンのないRPGのようなもの。。。

どのようにしてその神髄に触れられるか、自分なりの解釈も含め、さらなる面白さや楽しさを探求していきたく、ChatGPTなども活用し、想像の手がかりを得ながら、補完作業の場として「ここ(note)」と「そこ(Noh-Future))」を立ち上げました。

もともとある題目を様々な現代想定にアレンジし、心理的描写やセラピー的効果などをChatGPTを通して探求したり、そこに自らの思考を重ねていったりしていきます。

ゆらゆらと・・・。



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