とんちんかん
前回はトンチンカンな話でした。
トンチンカン?
そう、この言葉は「小鍛冶」のお話からきているそうですね。
えっ、美月さん何ですか!?
あ、さて話を前夜に戻しましょう。
私また京都に行きました、
大好きな場所、大江能楽堂さんです。
「三輪」 例えば歌謡曲でいうサビだけ歌うとか、曲の間奏を省くとかそういう感じでしょうか、舞囃子・神楽という形でアレンジングしたという伝え方でいいだろうか、姫路城で観た内容と違ったので、おぉおって思ったけど、今日ってそういえば敬老の日じゃんって、そういうサービスチックなのもあるんだなと、大いなる勘違いだったら甚だ恥ずかしいこと書いてるが、ま、いい。
「三井寺」 大津といえば思い出す、京阪線の楽しい路線旅、
弁慶の筋肉を作った餅菓子もいいが、自身的には、
閼伽井(あかい)の黒蜜きなこ・・・きなこと黒蜜に埋もれて窒息したいくらいに好物である。
無敵なる観音様の前で、日々子供に会いたい想いを願う女性、あそこの寺に行きんしゃいとのお告げのもと、そこで出会った僧たちとのお話の中で、会いたいんや大概にせ~やと頭おかしくなりながらも、最後は僧の一人が自分の子だったとわかり連れて帰る、
あぁよかったという感じ。
鐘を鳴らす動き、しおるしおる動き、後見さんが鐘の紐を丁寧に結び直す、間違いのないよう焦らず正しく結び直す、ワキの僧役のお子さんは初舞台なのでしょうか、こちらもハラハラしながら謡いに惑いがあった際、幕裏から神の声がふと聞こえる、ドントストップなライブである。
あぁよかったという感じ。
推しでもある河村大さんの大鼓も聴けた、囃子と舞・謡いの間やタイミングの取り方なんかが観れるようになってきた、ひとつひとつの所作、ハコビ(摺り足)の際に装束を美しく見せるためには重心の位置が大切で、一歩一歩にも魂がこもる、どこに目がいったとしても、その全ての箇所、役者さんに緊張感があり、
あぁよかったという感じ。
余韻冷めやらず、今夜は京都泊ということで、
・・・さぁ呑むよ、
といいたいところだが、祝日夜は店も閉まり、ま、何とか開いてる店を見つける、
予定通り二日酔いです。
翌日、35℃を超える猛暑の中を、とあるミッションをこなすために行動する。
東山へ。
相槌稲荷へ。
ここで、とんちんかん、小鍛冶の話に戻ります、宗近さんが刀を作るお話、男子的には好きな世界観、女子がリカちゃん人形を楽しむように男子は剣を楽しむものでしょうか、内容的には幽霊さんが出てきますが、大方ある愛僧劇とかとは違い、協力者と出会いひとつの作品を完成させる、あ~なんか色々あったな~と、そんなこんな想いながら駒形を感慨深く暑さを一瞬忘れ見ていました。
シャツを換える②、この時点で本当はくたばりたいが、
向かいにもう一つのミッションが見えてるではないか・・・。
続く。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。