Buddiesのサバイバル・ゲーム

「櫻坂は誰も置いて行かない」という言葉を見たのはどこが最初だったか。私が少し思い返したところ、たしかみぃちゃんのブログだったと思う。

みぃちゃんがパニック障害で活動休止中でも、えんりこはじめメンバー(や、たぶんスタッフも)がフォローし続けたという話は、Buddiesがもっとも好む話に違いない。

みぃちゃんをはじめ、気がつけば櫻坂のメンバーは先輩や後輩分け隔てなくとてもなかがいい雰囲気がある。坂道グループの歴史上でも類を見ないんじゃないかと思うほどだ。

前身の欅坂が、後味の悪いメンバー脱退や卒業を頻発させてきたこともあり、最後はセンターの脱退で崩壊したトラウマが、今日のメンバー仲のいい櫻坂を作ったことは間違いない。実際はどうかはわからなくとも、外から見ていても「誰かを置いていく」かたちで進んでいたのを嘘とはいえない。

欅坂は、軍服のような制服をまとう中高生が、静かな戦場のような学生生活を送るというコンセプトを反映してしまったのか、本当に映画バトルロワイヤルのようにメンバーが脱落していくというサバイバルゲームの様相だった。1期生の原田まゆが早々に活動辞退になるのも、思い返せばバトルロワイヤル冒頭で最初に死ぬ生徒に近い。

そんなグループの運命とは裏腹に、「21人の絆」とかなんとか言ったりし、てちが頑なに選抜制度を否定していたというアンビバレントがあった。バトルロワイヤルは殺し合いをさせられる子供がゲームを運営してる大人側と最終的に戦う構図もあって、それをなぞってるかのようだった。結果的に殺伐としたものになっちゃったんだけど。

じゃあ櫻坂はそんな殺伐さから手を切れたんだろうか。「櫻坂は誰も置いて行かない」表向きはそうは見えるが、どうにもここ最近の11th選抜発表以降のファンを見ていると、また新たなサバイバルゲームが水面下で展開されているように思う。

いわゆる推してるメンバーで、ミーグリの売り上げから選抜ぎりぎりなんじゃないかと目されるメンバーが落ちてしまったり、逆に傍目には選抜に残れるメンバーじゃないように思えた人が残っていたりすることがここのところ続いたがために、Twitterでいよいよファン同士が荒れはじめてる。

Buddiesのサバイバルゲームだ。櫻エイトとかマイルドに選抜制度を導入しつつ、「承認欲求」から本格的な選抜制度に移行してから、音楽性とパフォが加速しはじめたあたりで、ファン参加型アイドルのビジネスモデルと作品性重視でキャスティングするような選抜のセレクトがバッティングしだしている。

ミーグリの指標がすべてではなく、ファンがいくら買い足す努力をしてもセンターはおろかフロントに立てるわけじゃない。櫻坂はファン参加型が目的ではないし、私自身はなんか歯痒いように見えるかもだがあまり櫻坂の面白さをそこに置いてない…というか、メンバーとお話するっていまだにめっちゃ恥ずかしいんだ、ほどほどにしか買わず、他愛無い話して頑張ってくださいっていうくらいで精一杯。何の話をしてるんだか。

話を戻して、運営側は主演としてるんちゃんかりんちゃんてんちゃんを中核にしながらお芝居をキャスティングするみたいに助演や脇役を選んでるように見える。

櫻坂はどこまで作品性のための選抜でどこからがミーグリの影響による選抜かの境界が曖昧だ。特に作品性に当たる要素が、ダンスそのもののクオリティなのか、俳優的な存在感なのか、はたまたその総合なのか評価基準がはっきりしないことに、ファンがやきもきさせられてる。そして曖昧なところに人気が中盤にあるメンバーがいて、選抜に落ちたりまた戻ったりする。

このことでファンの気持ちは振り回されるわけだが、これはどこまでビジネスの範囲と言えるのか。メンバー自体の仲の良さや雰囲気自体は間違いないとは思うのだが、ファンがサバイバルゲームの参加者のように気持ちを切り捨てられかねなかったりする。

欅坂というサバイバルゲームそのものみたいなグループにけりをつけ、みんなが手を取り合えるようなものに生まれ変わったかと思いきや、実はサバイバルゲームは形を変えて続いている。そして本当は、そんなサバイバルゲームこそある種の櫻坂の緊張感あるクリエイティブにかかせないというのも否定できないのだった。