療養日誌 #1
なんとなく毎日ダラダラするのも良くないなぁと思って、ぽちぽちPC叩いていこうと思う。
【きっかけ】
そもそもここまで病んだきっかけは何なのか。
4月、今の職場2年目に入り新しいパートが入職してきた。年齢は定年近いくらいで私と同じ国家資格を最近取った方、これだけ聞くと勉強熱心な方で福祉に対して興味がおありなのね~と思うやん?
ところがどっこい、分からないことだらけの4月に分からないことを調べることはしない、電話も取らない、窓口対応しないなどなど。いやいや、この4月って分からないことだらけなのは仕方ないから、自分で覚えようとか調べようとかするじゃない?全くしないのよ。ミステリ~。
この状況が5月、6月も続き…
7月に異例の人事異動あって我が課は人員マイナス1名、そして担当分掌変わるという異常事態が発生した。
その間にも、4月の状況から変わることのない新人パートさん。私は既にヘロヘロになりながら仕事していた。窓口業務もこなしながら事務作業やら手帳の進達業務、電話対応もやる日々が続く。その間にも上司には報告してた。
「さすがの私もこの状況はしんどい」と。
8月には給付金業務と重度の更新時期が重なり、クッソ忙しい。暑いし。
※そもそも重度の更新業務、私がサブで処理しないかん業務あんねんよ
そんな感じでどんどん業務が重なり、8月倒れそう。
9月には私が謎の高熱で倒れる。
多分この時点でかなり疲れが出てたのかもしれない。ただの蓄膿と気管支炎だったはずなのに未だに調子悪い。
そして10月に入り、多少業務が落ち着くも日々の業務はある。
そんな中、もう一人のパート女子から…「新人パートさん、なんか小言で『もうやることなくなっちゃったなー』って呟いてたんですが、やることない訳ないですよね?」と話があった。
私、キレそう。
まぁ、そもそも新人パートさんはとにかくお仕事がお上手ではない。
※仕事が出来ないと言うとアレなので濁してみた。
・メモは取れるが何が書いてあるか判別不能
・そのメモを自分が対応出来ない(しない?)ので同僚にその対応を変わっ
てもらう際に渡すが読解出来ず、結局同じ話をお客さんに聞かないといけ
ない
・ジェノグラムが書けない(いや、勉強したやろ)
・後期高齢者は何歳から?と聞いてくる
・伝書鳩になりきれない電話対応
・多機能電話を使いこなせず電話を回せず電話切れる(4月ならまだしもす
でに秋ですが)
こんなもんじゃない、他にもたくさんやってくれましてその後処理をしないといけない状況が続いてる。自分の業務だけじゃなくその人がやる業務を見ながらやらないといけいない、それ以上にその後の処理も丸投げされる。
新人パートさんに「やってください」と言われることはない。
私に投げてきてその後は何事もなかったようにデスクに戻っていく。
いや、それ覚える気ないの?
後からでも、どうやって処理したか聞くとか興味ないの?
もうね、説明してた4月5月を超えて10月にもなってそんなことまで出来ない。
そんな中、業務上で私がミスしたことが発覚。
隣の席の上司は「しゃーない、しゃーない。気をつけよ」と。改善するためにどうしたらいいかを一緒に考えてくれる。でも、それミスすんの2回目やねん。
初夏あたりに1個ミスってる。
※1回目も2回目もほぼ同じような感じのミス
もうね、そこでプッツリ糸が切れた。
あ~もう無理
って。
あんなに必死になってやっていた業務。
事務や電話、窓口、他職員のフォロー…たかがパートとはいえでも専門職として採用されている以上、その資格に見合うだけの相談業務はしないかん。
そう思ってやってきた。
でも、ミスをした。
それも
『他愛もない事務作業』で。
いつもなら気が付くこと、いつもなら何でもない事務作業
そんなことでミスした自分が恥ずかしい
そして、自分の能力の低さに嫌気がする
もう自分の仕事の出来なさに自己嫌悪
その夜はご飯が作れなかった
せっかくの息子が楽しみにしていたハロウィンなのに。
唯一作れたのは、炊いたご飯にカレーピラフの元を入れて混ぜ、薄焼き卵でオムライス風にしたもの。ケチャップで顔を書くくらいしか出来なかった。
ごめん、息子。
1か月くらい前に家族で行った琵琶湖近くの温泉に入っている時、なぜか泣けてきたことがあった。
ああ、あの時点でもう限界だったのかなぁ…
こうして糸が切れた私は出勤できなくなった。
次回、初回通院。