小説 詩篇 4篇
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文学部の授業に真面目に受けている学生はいない。
ある日の一般教養の授業で僕は最悪な状況に陥った。
入学して三ヶ月が経っても僕は、当然のように友達のいない生活を送っていた。
その日も日本史の授業では前の方の人気のない席に一人座っていた。
しかしその日はたまたま、キリスト教について触れられたのだ。
「えー、このようにキリスト教でも十戒を中心とした律法が重要な位置を占めており、
信者はそれを行わなければ神に罰せられると信じているわけです。
そこで、、、、」
という教授の言葉に僕は、ほとんど無意識のうちに「え、、、」と声を出してしまった。
最近の僕は、キリスト教の話に興味を持って聞いてしまうのだ。
周りの目が一気に僕の方を向く。
心臓がぎゅうっと締め付けられる。
「む、何かね?質問かい?」
教授にも当然届いていた。
「あ、いえ、、、。
あの、僕は、キリスト教徒ですが、律法はそんなに重要じゃないです、、、
いや、重要じゃないことはないんでしょうけど、禁止されていることはないです、、、はい、、、」
シーンとする教室。
怪訝な顔をする教授。
声が震える僕。
体感、数時間。実際には30秒ぐらいの沈黙が流れた。
もう吐きそうだ。
そして教授が明快な声でいった。
「ふむ。なるほど。そうなのか。
これは失礼した。わたしも専門ではないので、そう指摘してもらえて感謝です。
また気になったことがあったら言ってください。わたしも色々とお聞きしたい。
しかし、今は授業を続けます」
そう言って授業に戻っていった。
もう何も手につかなかった。
別に高校生の時に取り立てて地味でおとなしい生徒ではなかった。
普通に友達もいたし、授業でも発言していた。
しかし友達のいない三ヶ月間が僕をこんなふうにしたのだ。
味方のいない教室はこんなにも怖いものなのか。
そしてこの教授はこんなにも人格者だったのか。
帰り道。
昨日寝る前に読んだ聖書の言葉を思い出した。
『わたしが呼ぶ時、答えてください。
神よ、わたしの正義の源。
追い詰められた時、解き放ってくださった方。
わたしを愛し、わたしの祈りを聞いてください』
さっきのあの時、祈ってたら答えてくれたんだろうか。
追い詰められていた僕を解き放ってくれたんだろうか。
気になって、その続きを読んでみた。
『知れ。
主は主を信じるものを区別する。
わたしが呼ぶ時、答えられる』
おお、、、
厳しい言葉もあった。
神が良いものを与えているのに、何を怖がっているのか。
虚しいものを愛し、偽りを慕い求めている。
どこか胸を張って生きられない自分のことを言われている気がした。
誰に批判されたわけでもないのに、教授に叱られたわけでもないのに、自分は追い詰められていた。
恥ずかしさに苦しめられていた。
“私の栄光”と言われたことに身が震えた。
『主に信頼して、勇敢であれ』
その言葉に震えた。
そんな時、後ろから肩を叩かれた。
「あの、、、」
可愛らしい女の子だった。
「わたしもクリスチャンなんです!あそこであんなことを言えるなんてすごい、、、!」
友達ができた。
なんということだ。
震えた。
あなたは喜びを僕の心にくださった!
心の中で祈り叫んでいた。
連絡先を交換してくれた。
僕は冷静を装っていたが、もうその場で飛び跳ねたい思いだった。
うちに帰ってもすぐには眠りにつけなかった。
もう一度、あの聖書の箇所を開いた。
『平安のうちに私は、身を横たえ、眠りにつく。
それは、主よあなただけが、
私に安心を与えてくれるからです』