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2025年2月の記事一覧

【短編小説】 『足下の上』③

【短編小説】 『足下の上』③

僕には名前がなかった。

本屋に住んで2ヶ月が経って、おじいさんに聞かれて初めて気づいた。
今まで気に留めたことがなかったのだ。
今になって思うと、そこまで聞かなかったおじいさんも不思議だ。
ないと聞いて目を丸くしていた。

名前など、必要なかったのだ。
願いを込めて僕を見る人などいなかったから。
祈りを込めて僕を呼ぶ人などいなかったから。

「私がつけよう」
おじいさんはそう言った。
「うん、、

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【短編小説】 『足下の上』②

【短編小説】 『足下の上』②

本屋に住み始めて1ヶ月が経った。

本屋は商店街の中にあって、2階がおじいさんの家だった。
おじいさんに子どもはおらず、奥さんとは死に別れていた。

布団で寝て、何もしなくても3食が出てきて、そしてまた寝る。
そんな生活は、現実味がなかった。
ただ座っていることには慣れていた。
そのほかに何をすればいいかはわからなかった。
だから店に出ているおじいさんの横にずっといた。

服と髪が綺麗になって、街

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【短編小説】 『足下の上』①

【短編小説】 『足下の上』①

親に捨てられて、物心ついた時から路上にいた。
物を乞い生きてきた。
それ以外に生き方を知らなかった。

手は汚れ、人には蔑まれた。

汚れたものに、人は近づかない。
近づこうとしないということが見下しているということだと、人は気づかない。
しかし見上げている側ははっきりと感じる。
その人たちは、向ける目が死んでいるか、嘲笑っているか、そもそも目を背けるかだ。

「恥ずかしい奴め」
そう吐き捨てて、

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【短編小説】 『叫び』

【短編小説】 『叫び』

男は少し微笑んで、少しも躊躇うことなく足を踏み出した。

2万人の大群衆の前、
巨大なスクリーンと楽器隊を背に、
一度限りのステージに立った。

沈黙が流れる。
男が何も言わないからだ。

右の奥の方で誰かが男の名を叫んだ。
やまびこのように、
ポツポツとその名がこだました。

そして男が喉を震わせるより前に、
会場は大きな騒ぎになった。

その叫びが頂点に達したところで、
男は大きく息を吸った。

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