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イラストエッセイ「私家版パンセ」0060 「神と富とに兼ね仕えることはできない」 20241022

金金 ぼくはちょうどバブルの頃にビール会社に就職したんです。40年前のことでした。
 あの頃の日本は、好景気の熱気にあふれていました。普通のパートの主婦が、へそくりで株を買って翌日には倍になる、みたいな。株を買うために借金しても、倍になるのですから銀行も喜んで貸しました。
 NTTの株が公開されたのもこの頃です。

 さて、聖書の言葉に、「神と富とに兼ね仕えることは出来ない」というものがあります。貧乏学生だった頃は、何故ことさらこんなことが聖書に書かれているのか分かりませんでした。
 聖書には「貧しい人は幸いだ」とも書かれています。あるいは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」とも。

 ところが就職して、しかも時代はバブルです。金回りが良くなると、なるほど金とは魔物であるということが実感として分かるようになりました。
 人は簡単に拝金主義になってしまうんです。
 金はもともとは、お互いの労働を交換するための媒介物、手段です。ですから、買う方も売る方もお互いの労働に敬意を払いながら交換するべきですよね。
 ところがいつのまにか金そのものに価値があるように思ってしまう。そして金に対して頭を下げるようになる。お客様は神様です、というのは、お金が神様になったということです。
 お金は人生を豊かにするための手段です。ところが、容易に金儲け自体が目的になってしまう。

 金を持つということは、神を所有するのと同じです。その金が、苦労もせずに簡単に手に入るようになるとどうなるのか?
 まず、まじめに働くことが馬鹿らしくなります。
 金で何でも買えるから自分自身に技術を身につけたり、知恵を身につける努力が無駄に思えてきます。
 容易に快楽を得られるので、困難を克服するという、自分の成長につながる本当の楽しみを忘れます。
 欲求が簡単に満たされるので、克己心を養うことが出来なくなります。克己心を失えば人間は簡単に欲求の奴隷になってしまうんですよね。
 アーティストやスポーツ選手が金持ちになって堕落するということは良くある話です。立派な仕事をすれば金が入るのは当然ですが、いつしか金を得ることが目的にすり替わってしまう。
 昔の金持ちは、わざわざ子供に質素な服を着せ、自分たちも質素な生活を送ったといいます。それは金が容易に人を堕落させることを知っているからです。金持ちでありながら堕落しない技術というものがこの世には存在するんですね。
 大金を持ちながら、食べたいものも食べず、自己管理をして一流の地位に留まる人は、こういう技術を持った人たちです。例えば大谷翔平選手のような人ですけれど、こういう人は本当に少数です。
 普通の人は、簡単に拝金主義者、金の奴隷になってしまいます。
 バブルの頃は、普通の人が大金を手にした時代だったんです。

 バブルのさなか、ぼくはやっと、あの聖書の箇所の意味が分かりました。
 金は人として大事な生き方を失わせる場合が多いということです。金を持ちながら良く生きられれば最高でしょうけれど、普通の人間にはそれが難しいんです。少なくともぼくにはできませんでした。
 それで、ぼくはビール会社を辞めて、古い農家を家賃一万円で借り、妻と娘と三人で田舎暮らしを始めました。

 欲望を満たすためのお金には限りがありません。欲望には限りがないからです。
 自分が大切にするもの。例えば聖書で言えば「神」になりますが、何でもよいと思います。芸術でも、家族でも、友人でもいい。それを大切にするために必要なだけのお金があれば良いと考えると、とても自由になります。
 そのことは、稲垣えみ子さんが素晴らしい実践をされています。

 今、世界が混乱しているのも、原因は全て金じゃないかなと思います。あくなき豊かさ、富への欲望が世界をめちゃめちゃにしている。
 新聞も、地球温暖化の脅威を叫びながら、次のページでは株価や経済成長の話ばかりです。
 もちろん貧困は撲滅されなければなりませんが、今本当に必要なのは、欲望を我慢することじゃないでしょうか?でも、我慢しろなんて政治家は一人もいませんよね。欲望は古来、制御、抑制されるべきものでした。ところが資本主義経済万能の今では欲望の肯定に異を挟むことが狂気の沙汰とみなされるようになってしまいました。

 バブルがはじけて、失われた30年が始まりました。
 でもそれは本当に失われた30年なのだろうか?
 バブルの時期の方がおかしかったのではないだろうか?
 アメリカやヨーロッパ、中国では、相変わらず貪欲に成長を求めて奔走し、闘争を続けています。その結果、所得は増えても物価が高騰し、そして戦争がやみません。
 江戸時代の300年間、日本の経済成長はほぼゼロでした。
 それでも3000万人の日本人が、後世の人々が描くほど悲惨ではない生活、むしろのんびり生きていた。(研究者によって異論はありますが)
 ぼくたちにはそういう遺伝子が残っているような気がします。
 悟り世代と呼ばれる若者たちは、もしかしたら本当の意味で持続可能な生き方なのかも知れません。

サシャ・シュナイダー 「金銭とその奴隷」 模写


 


 


私家版パンセとは

 ぼくは5年間ビール会社でサラリーマン生活をした後、キリスト教主義の学校で30年間、英語を教えました。 たくさんの人と出会い、貴重な学びと経験を得ることができました。もちろん、本からも学び続け、考え続けて来ました。 そんな生活の中で、いくつかの言葉が残りました。そんな小さな思考の断片をご紹介したいと思います。 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。

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