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20241030 イラストエッセイ「私家版パンセ」0062 「科学は本当は恐ろしい?」

 ぼくは反科学の立場ではありません。
 科学的思考はとても大切だと思っています。反科学は容易にオカルトや陰謀論に染まってしまうからです。

 それでもなお、科学そのものの恐ろしさというものは認識しておく必要があると思っています。

 よく、科学は善か悪かではなく、その用い方で善にもなるし悪にもなるといわれます。例えばナイフには善も悪も知りません。人間の用い方で、悪くも良くも用いられる。

 ところが興味深いことに、古代人たちは、人間の知恵(技術・知識・科学)そのものが恐ろしいものだという感覚を持っていたんですね。
 アダムとイブの物語では、人間が「知恵の実」を食べること自体を罪としています。ギリシア神話では、ゼウスから火(文明)を盗み、人間に与えたプロメテウスは、ゼウスによって厳しい刑罰を与えられます。

 科学文明は人間を豊かにしました。けれども、それを手放しで称賛するのではなく、ある種の畏れを持たなければ、恐らく人間の文明は健全ではありえないのでしょう。

 トールキンの「指輪物語」は同様の主題を扱っているように思います。恐ろしい力を持った指輪。指輪はいつしか所有者をむしばみ、怪物に変えてしまう。それを手に入れるより、手放す方がずっと難しい。ぼくはこれを核兵器のアナロジーと読みます。

 スマホ、AI、クローン。不老不死。教育現場ではタブレットが導入されています。
 ものすごい技術が日々開発されていますが、核兵器の開発と同じくらいの恐ろしさをぼくは感じてしまいます。
 古代人の技術に対する恐れは、聖典の中で語られ、またギリシア神話の場合は公共の劇場で上演されました。
 反科学という立場ではなく、良識ある市民として科学技術への盲信は戒められなければと思っています。

 最近、Netflix のブラックミラーというSFオムニバスのドラマを見ています。現代の便利な技術がもたらす負の側面を描いていてとても興味深いです。ぜひご覧になってください。

ヤン・コシエール作 火を運ぶプロメテウス 模写





私家版パンセとは

 ぼくは5年間ビール会社のサラリーマン生活を送り、その後30年間、キリスト教主義の私立高校で教師として過ごしました。 多様で個性的な生徒と出会い、向き合う中で、たくさんのことを学ばせていただきました。 そんな小さな学びの断片をご紹介します。 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。


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