
イラストエッセイ「私家版パンセ」 0021 「敬語と作法は大切」 (人間関係) 20240625
敬語と作法は少し面倒なもの。でもこれが人間を縛っていると考えるのは間違っていると思うんです。
敬語と作法はむしろ人間を自由にします。たとえその人がどんなに奇妙であっても、敬語と作法が身に付いていれば社会的に迫害されることはありません。逆に敬語と作法を軽視しすると、余計なことにずいぶん精力を割かれることになります。
敬語と作法は内面を守るための鎧のようなものる。裸で生きることは軽快かも知れませんが、危険なのです。特に自分が個性的でありたいと思う人であるほど、大切だと思うのです。
ぼくの父はよく言いました。「ちゃんと敬語を使えるようにしろ。それから、飯はきれいに食べろ。あとは何をやってもいい。」
これで人生がずいぶん楽になりました。
30年以上前、おすぎとピーコさんのラジオを聴いていた時のこと。同性愛の男性がどう生きたらいいのか相談しました。
ピーコさんの答えは次のようなものでした。ちょっと今のコンプライアンス的に問題がありますが、そのまま引用します。
「あんた、良い人になりなさい。オカマはただでさえ生きずらいもの。それで悪い奴だったらこの世に居場所はないわよ。せめて、良い人になりなさい。そうすれば、必ず居場所ができるから。」
こういうのを知恵というのだなと感心しました。正論ではないかもしれませんが、知恵のある言葉です。ピーコさんの真意は、父の教えと似ているなと思いました。
ぼくは学校の先生だった時、友達関係に悩む生徒の相談に乗ったことがあります。友達とどう接していいのか分からないという悩みでした。
友達とどう接して良いか分からない原因は、ほとんどの場合気をつかいすぎることにあります。相手に合わせようあわせようとすると疲れてしまう。何より自分らしく生きられなくて苦しくなります。
そういう生徒には、父の言葉をアレンジして、こんな風に言ったものです。
「人の陰口を言うな。ちょっとだけ親切であれ。あとは何をやってもいい。自分らしく生きなさい。」
人に合わせようとすると、考えなきゃいけないことが無限にある。そうではなく、一つか二つ、自分の方針を定めて、あとは好きなように生きればいい。これはずっと楽です。去る人は去ればいいんです。でも、必ずあなたを好きになってくれる人はいる。全員から好かれようと思わずに、自分を理解してくれるひとが少数でもいれば良い、そんな風に割り切ることが大切です。
陰口を言わないというのは、ものすごく効果があります。これを守るだけで、普通に良い人だという評判がすぐに立ちますよ。
人からどう思われているかというのは、すごく気になりますよね。でも、そのことだけを考えていたら、短い人生、自分らしく生きられないうちにあっという間に終わってしまいます。

私家版パンセとは
ぼくは5年間のサラリーマン生活と、30年間の教師生活を送りました。
その30年間、子供たちが元気になれるような言葉はないかなと考え続けて来ました。
そんな風にして考えた小さな思考の断片をご紹介します。
これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。