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20241015 イラストエッセイ「私家版パンセ」 好きなことをして生きることは幸せとは限らない

 好きなことをやろう。好きなことは熱中できるし、熱中すれば上達する。上達すれば感嘆されるし、感嘆されれば自分に自信がつく。そうすればもっと熱中するようになり、更に上達し、更に認められる。義務でやっている人は好きでやっている人には勝てない。
 こんな風に若い人たちに言って来ました。
 「好きなことばかりしていてはだめだ」とよく言われますが、ぼくは「しなければならないことばかりしていてはだめだ」って。
 自分は何をするために生まれてきたのか。本当にやりたいことを見つけてそれに打ち込むべきである、とも言ってきました。

 確かに好きなことをして生きてゆく人生は、良いことだと思います。でも、「何事も等価交換」の原則があると思います。良いことには、それと同じぐらい悪いこともある。(等価交換のお話は下記のリンクから)
 今日は、そんなお話です。

 好きなことに打ち込む人生。
 でもそれは別の見方をすると、何かに取り憑かれた人生ということもできると思います。
 時にそれは人間的な幸福を奪います。好きなことに打ち込む人生はバラ色の人生などでは決してなく、絶えず欲求不満に悩まされ、新たな創造へと駆り立てられ、少しも休まる時がない人生とも言えます。
 「芸の為なら女房も泣かす」って歌がありましたよね。勝負師と呼ばれる人々も、例えば棋士なんかも普通の幸せとは程遠い生活を送ることがあります。芸や勝負に取りつかれ、普通の人生を歩むことができなくなってしまう。
 芥川龍之介の「地獄変」は、自分の娘が火事で焼け死のうとしているところを助けるのではなく絵に描いて地獄絵図を完成させた絵師、良秀の物語。
 何かにとり憑かれ人間性を失ってしまう人生は「鬼の人生」と呼んでも良いと思います。その芥川自身、自殺をしています。
 これはもう呪縛以外の何物でもありません。

 幸福とは煎じ詰めると「満足すること」です。客観的状況ではありません。天国にいても不満を言う人はいますし、地獄でも満足していれば楽しく生きられます。
 何かに打ち込み向上しようとする状態は、その対極にあります。満足するところに向上はないのですから。
 本当の意味で好きなことに打ち込むことは、実は幸福を約束するものではないんですね。

 好きなことに打ち込む人生は、実は幸福な人生ではなく、宿命のようなものなんです。幸福になる道ではないと分かっていても、そうするしかない。だって、憑りつかれてしまっているんですから。
 学校は生徒の幸福を願うところです。だから学校では普通「好きなことをしなさい」とは教えないのかも知れません。家庭も同じです。親は子供に幸福になってもらいたい。鬼になってほしいと願う親はいないとおもいます。
 そしてぼくのような変な先生が「好きなことをしなさい」と言っても、実際にそういう人生を送る生徒は本当に少数でした。30年の教師生活で、ほんの数人です。この道はアブナイって、本能的に分かるんですね。笑
 好きなことをして生きる人生は、誰が何と言おうとそうなってしまう。人に言われてどうこうというものではない。やはりそれは宿命と呼ぶしかないのかも知れません。

オリジナルイラスト 映画「地獄変」 内藤洋子






私家版パンセとは

 ぼくは5年間ビール会社のサラリーマン生活を送り、その後30年間、キリスト教主義の私立高校で教師として過ごしました。 多様で個性的な生徒と出会い、向き合う中で、たくさんのことを学ばせていただきました。 そんな小さな学びの断片をご紹介します。 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。



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