「聴き合う」という体験
以下のnoteを読んでいると心が温かくなって、幸せな気持ちになりました。とても共感したのでnoteに記しておこうと思います。
私にとって「聴き合う」体験とは
私にとって「聴き合う」体験は、「その人の存在を尊重し、愛し合うことができること」です。「聴く」というのは、言葉の表面上ではなく、その人が抱えている背景や世界観にまで配慮を及ぼすことだと考えます。YeLLさんの仰るところの「肯定的な意図」に向けて「Without Judgement」な状態で聴くということ。人間は一人ひとりが異なった個性を持って生まれてきます。お互いに分からない部分を聴き合う体験は、その人を最大限にまで尊重し、可能性を信じることだと思います。
この資本主義社会の中で、どうしても「対話」や「聴き合うこと」といった、数値的な成果にすぐには結びつかないものはないがしろにされてしまう傾向があります。1on1は導入されているものの、形骸化してしまっていたり、上司の忙しさから時間を取ることができないという場合もあるのではないでしょうか。そんな中でも一人ひとりの持つ「人間性の回復」のためにも「聴き合うこと」がとても大切だと考えています。その結果として組織に「心理的な安全性」がもたらされ、エンゲージメントが高まり、強い組織ができていく。そんな社会を創り上げていきたいと思っています。
先が見えないVUCA時代にある私達は、外の情報だけに依存するのではなく、「聴き合うこと」を通して自分らしさを獲得し、これからの時代を生き抜いていく必要があると思っています。昨今のこうした考えの中で、パーソナルコーチングやキャリアコーチングサービスが広まってきています。こうした「聴き合う」文化が社会全体のインフラとして根付いていけば、上記のように「その人の存在を尊重し、愛し合うこと」が実現するでしょう。今よりもっと優しく、誰にとっても生きやすい世界になると信じています。
「聴く」の原体験
ここからは私にとっての「聴く」の原体験を8つ書いていこうと思います。長いのでご興味のある部分を読んでみてください。
①学習塾での経験
②自身の闘病
③3つの難病を抱えた彼女とのお付き合い
④前職でのメンタル崩壊
⑤パーソナルコーチングでのクライアント体験
⑥「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」での体験
⑦大学での世界観研究
⑧自分の根底にある「キリスト教」の考え
①学習塾での経験
大学時代のアルバイトでは、個別指導塾の講師をしていました。主に小学生から高校生の指導をしてましたが、私の記憶に強く残る生徒がいます。その子は当時中学2年生でした。学校でいじめに遭い、不登校になってしまっていたとのこと。講師歴が長く、教室長から信頼を頂いていた私が担当させて頂くことになりました。しかし、彼女は対人恐怖症を少し持っており、異性の私に対して最初はとても警戒していたのも無理はありません。
そこで、まずは学習より信頼関係を優先させようと考えた私は、彼女の好きなことを丁寧に聴きました。そうすると、「少女アニメを見ることが好き」だと、遠慮がちな笑顔を見せながら話してくれました。私も次の授業までに視聴することを約束し、そのキャラクターのお話をすることで信頼関係を構築。彼女も少しずつ苦手だった英語を頑張ってくれるようになりました。結果として、行きたかった専門学校に進学を決め、夢を追いかけています。この経験により、人の持つ可能性や、人の興味を丁寧に聴くことの大切さを学びました。
②自身の闘病
詳しいことは下記の記事に譲りますが、私は18歳から5年間の闘病をしていました。その間にたくさんの人の支えがあり、今の私が価値観を創られています。時には予備校の先生や大学の教授にも、たくさん聴いてもらいながら歩んできた闘病期間でした。「聴き合う社会」を創る中で、自分の受けてきた恩を「贈与」の形で還元できればいいなと思っています。
③3つの難病を抱えた彼女とのお付き合い
これはあまり語ったことがないのですが、大学の2年間お付き合いしていた彼女がいます。当時の彼女は3つの難病を併発し、精神的にとても不安定な状態。おまけに独り暮らし。しかし、毎日深夜まで電話をして彼女の話を聴いたりする中で、彼女の考え方がとてもポジティブなものに変化していったのが驚きでした。この体験を通して、人の話をしっかりと受け止めて「聴くに徹する」ことの大切さを改めて感じさせられました。
④前職でのメンタル崩壊
こちらも詳しいことは下記の記事に譲りますが、前職ではメンタルを崩し、早期離職を経験しました。会社の産業医やキャリアアドバイザーにお話することで何とか自分を保っていましたが、本当は利害関係のない方に話を聴いて欲しかったです。当時はコーチングや社外1on1なども知らなかったので、1人で苦しんでいる時間が本当に長かった。現在同じように悩んでいる人にも「聴かれる体験」が広まればと心から思っています。
⑤パーソナルコーチングでのクライアント体験
自分が聴いてもらう立場にいた時の話ですが、自分の話を無条件に聴いてもらえるって本当に贅沢なことなのだなと感じました。どうしても「こう言わなきゃいけない」「これが正解であるべき」といった社会通念がありますが、そのしがらみを超えたところに自分の本心があるのだと思います。それを聴いてもらった時に、自分が尊重されていることを感じました。この経験を通して、自己理解が高まり、自分の人生を選択できるようになっています。
⑥「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」での体験
「ダイアログ・イン・ザ・サイレンス」という音のない世界の中で、お互いの意思を疎通し、対話をしていくという体験をした時のお話です。相手が何を言おうとしているのかを全身で聴くという非日常を味わいました。
改めて「聴くこと」はその人を尊重することであり、その人の存在を認めることだなと実感した時間でした。
⑦大学での世界観研究
大学では主に行動経済学という分野を学びました。私達の研究会では、人の持つ心理面や世界観に着目し、それらがどのように経済行動に影響を与えるかについての学習がメインです。研究会の授業では、ある種の世界観を有している人であれば、出されたお題に対してどのような判断や行動をするだろうかという仮説を議論したりもしました。
卒業論文では、「お見舞い行動の背後にある世界観」についてインタビューをし、研究をしてきました。人は自分がしてもらったことを何らかの形で還元していきたいという根源的な欲求があるように感じています。「聴く」という行為に関しても、その体験が波及していくような仕組みを考えたいです。
⑧自分の根底にある「キリスト教」の考え
私は15歳の時に洗礼を受け、クリスチャンとなりました。私にとって神様は、こんな自分を無条件に愛してくれる方です。私が人を尊重することや愛するということ、聴くということに課題意識を感じているのは、自分がクリスチャンであることも1つの原点なのかなと思っています。
私は神様を知る前にも、無条件に愛してもらう、聴いてもらう体験を両親から貰っています。もちろん今もそうです。自分がしてもらって嬉しいことは他人にも「恩送り」の形で還元していきたいです。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書 7:7-12)
まとめ
私にとって「聴く」とはどのようなことなのか、その原体験も含めて書かせて頂きました。
「聴くの恩送り」を還元し続けられる、素敵な社会になればと思っています。自分がその一員になることが、生かされている使命なのかも知れません。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。