「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」のつくりかた【文章稽古】
「もみほぐしは演技に置き換え可能か?」の問いをもとに、見ているだけで体がほぐれる演技「ほぐしばい」の探求を続ける俳優・辻村優子。
その新作「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」は、いよいよ4月3日に初日を迎えます!(ご予約受付中)
本作では、観客は施術台の上で横になり、テキストの発話と手技による施術を組み合わせたパフォーマンス「よみほぐし」を体験します。発話されるテキストは、複数人から採取された言葉によって構成されており、いくつかの(実際には)存在しない景色を描きます。辻村の口から語られるイメージは、手技によってもたされる固有の感覚と交差することで、どのような〈景色〉を立ち上げるのか。「ほぐしばい」プロジェクトの集大成となる、リラクゼーション型パフォーマンス最新作。
前回の【単語稽古】に引き続き、今回は【文章稽古】の様子をレポートしていきます!
■文章担当は蜂巣ももさん
文章稽古をどなたにお願いするかを考えて、蜂巣さんしかいないと思いました。蜂巣さんは「サロン乗る場」で触覚を担当してくださいました。
触覚のセクションでは、施術の手順を一緒に考えて頂いていたのですが、その際に、手の態度、すなわちサブテキストの存在に気づき、「サロン乗る場」の施術にはどんな触れ方がふさわしいか、まさに演技の話を一緒にしてくれました。そしてその事は「サロン乗る場」がリラクゼーションサービスを再構築した上演作品である根拠を強く支えてくれたのでした。
稽古の仕方を着想したとき私は、おそらくこの文章稽古では、文章の構築と同時に、どのような演技を行うか、どのような触れ方がふさわしいかについて取り組むことになるんじゃないかと想像しました。ならば、ぜひまた蜂巣さんにお願いしたい。まだこんなに整理は出来ていなかった昨年末に、会ってお話をさせて頂き、ご参加いただけることになってありがたかったです。
■1回目の稽古
の、前に、どうやって単語稽古を引き受けていくつもりだったか。
ざっくりと、もみほぐしを受けてのおしゃべりを録音した音声データを蜂巣さんと共有し、そこから二人ともが気になった言葉やフレーズをピックアップしていくことを想定をしていました。
最初は蜂巣さんと録音を一緒に聞きながら書き出しの作業を行おうと思ったのですが、試しにやってみたら何かが違う。何だろうと二人で考えていくと、このやり方だと、蜂巣さんと他の人のコラボという形になってしまう。ということに気づきました。
なのでやはりそこは、俳優の体をメディアにして、それぞれの稽古の経験を自身の中でマッシュアップさせ、そのマッシュアップされた自分が蜂巣さんと何かをつくるという形にしようと方向をあらためました。
この作品にとっての創作の場は、俳優である自分の身体(とその内側)にあることを思い出しました。
つまり、人と人を繋ぐ何かを稽古でするんじゃなくて、
俳優自身をメディアとして、ある部分は一人で、しかも体を通してやった方がいいだろう、ということ。その蓄積が稽古になっていくんじゃないか。
そしてなんとですね、単語稽古では3人×2回=6回分の録音で、27データ!
およそ10時間分の音声データがありました。
それをどうするかって?
…文字起こしです。しかも、「体を通して」なら手書きがいいと直感してしまいました。
そんなわけで、1月の内からコツコツやってればよかったものを、単語稽古が終わってから取り掛かり始め…リストアップしたときは「嘘だろ」と思いました。文字起こしと言っても、ノイズは省いたのでだいぶすっきりしたものになったのですが。
1回目の稽古は、全6回の単語稽古が終わってすぐの、2月頭。
この日は、なので、その書き出しの作業を蜂巣さんと一緒にさせてもらおうと思っていたので、音声データが手元にあるのみ。近況やこれまでの稽古の流れを話しつつ、まずは単語稽古で出来たいくつかのデモンストレーションを受けて頂きました。
そして件の音声データを二人で聞いて書き出す作業を経てみて、あらためて稽古をどう進めていくかも含めて話をしました。
まず私は、稽古の仕方の順番が違ったかもって思った。演技(もみほぐし)から単語。その単語から文章をつくる、という流れにしてしまうと、また文章を先に作ってそこから演技を立ち上げるのっていう形にしてしまうのではないか。
単語稽古で出てきた個別稽古の具体的な言葉にあたっていくよりも、全体から気になるものを集めて並べて眺めた時に発見があるのではないかという旨を蜂巣さんが話してくれて、たしかに私も、個別具体的に面白い言葉を探すのではなく、全体を並べて俯瞰したときに浮かび上がってくるものが知りたいと思いました。
発話の中にある流れ、発話する身体の揺らぎ、もみほぐしを経ることによって起こる変容。それらはこまぎれにされたものでなく、流れがある。
確かにそれは単語稽古の中で私も感じていました。
言葉を素材に演技を立ち上げると、結局従来と同じ方向性になると思った。もみほぐしによって変容した意識から朦朧としたイメージが語られ始める時、一体何が起きていたのか。確かにこの録音データから言葉だけを取り出しそれらを組み合わせて文章を作るのでは何か違うなと納得しました。
単語稽古の三人の言葉と身体の距離感はそれぞれ面白くて、それぞれの事例をじっくり見てしまいそうになるけど、それではあまりにも情報が多く茫漠としているので観察する時の基準をつくったほうがよさそう、となりました。
そして、大事なのは進行の仕方の問題なのではなく、文章稽古では一体何が為されるべきかという事。
サロン乗る場の時の触覚稽古で、施術の手順ではなく、それを行う時の手の態度→サブテキストこそ要だと気づけたことはすごく大きかった。
それは蜂巣さんと稽古を行えた事によって得られた大きな意義だったと思う。しかもその中で提案・醸造されたサブテキスト(触れ方)はとても優しいものだった。
その態度やメッセージを演技を通して体現しようとする事は私にとってとても大切で、しかも「サロン乗る場」という作品の質を支えていたと思う。
だから、データを並べて分析するような、外側から観察する仕方だけではきっと違うんだろうなと気づいた。
これから演技の基準となっていくサブテキストをまず蜂巣さんと考え、その演技でお客さんをどこに連れていきたいのか。演技の土台を創造していく事が、文章稽古にとって重要なのではないか。
サブテキストと共に、膨大な言葉を観察する。演技や施術は、言ってしまえばすぐにできてしまうことでもある。だからこそ問題はそこじゃなく、どのようにそれに当たるのか、なのではないか。
文章稽古を通して、蜂巣さんとサブテキストを創造し、集めた言葉を再編成してみよう。と方向が定まった。
そして、ここにも、公演終了後に公開予定、と前回から言ってはばからないテーマが並走しています。「お客さんにまっすぐきもちよくなってほしい」
セラピストなら当然のその姿勢をなぜ敢えて強調する形で語るのか。
その理由についてはご来場いただく方々に「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」を体験していただいてからの方が良い気がしているので、やはりここでは伏せさせてください。
いずれにしても、誰も忌避せず、一セラピストとして、俳優として、その人になんの衒いもなく喜んで受け取ってもらえる演技ができるようになることが今回の並走するテーマでした。
しかし、今作を進める上でのもう一つのテーマに触れた後、蜂巣さんの言った「あの人を喜ばすための、というのがわからない。」という言葉に私はまた立ち止まります。
「施術するのは色んな人がいる前提で、やることで。あえてある客層をかかげてサブテキストをつくるのは逆にやりたい事わかんないかも。店員を人と思っていないような人がいるのは身に覚えがあるけど、でも、色んな事があっても自分は自分のことをやるんだろうなあ、と思ってて、そうして次の日に備える。」蜂巣さんのこの言葉を受けて、相手に合わせて何かしようとするより、まず私が何を渡したいかだなと思った。相手にどのように伝えるかの技術は大事にしつつ、大枠で自分がやることは変えない。
だから、まず自分が納得できる土台をこの稽古で創っていこう。
初回から芯を食った話が長く続き、あらためて、単語稽古を通してどんな発見があったかに話題を戻してみると、
「どうやら体の部位ごとに発話の傾向があるみたい。」と自分が発見していたことに気づきました。
たとえば、胴体の部分を触れられてるときは「自分」を意識しやすいみたい。もしかしてそこから離れるほど思考の抽象度が上がっていくみたいな?
という話になり、こんな図を描いて初回の稽古は終了。
もしかしたらこういった事は何かの学問で、すでに検証立証されていることなのかもしれないけど、よく観察して自分で獲得していく事が最終的に自分の演技に繋がっていくんだと思う。
■大雪の次の日の2回目の稽古
続く稽古の日は2月6日。みなさん覚えていらっしゃいますか?2月5日に東京には大雪が降ったことを。東京の西の民である私は、田端までの移動の困難さを鑑みて、わが家で稽古をさせていただく事にしました。(蜂巣さんもその方が近いので)
さて、出来上がった文字起こしの膨大なデータをもとにした文章稽古2日目。
わが家の茶の間の床にこんな図を。上を頭、下をつま先。斜め左下の矢印を腹側、斜め右上を背中側にした3平行の立体を想像してください。
ここに、こう!!
①まず上の写真のように三方向の軸を設定。文字起こしした紙を、部位ごとに並べ直していく。蜂巣さん、辻村がそれらを読んでいく。文字起こしされた中で気になった言葉があったら、ラインを引く(蜂巣:黄色、辻村:緑)
②黄色、緑でマーカーされた言葉を抽出して、新しい紙に書き出す→各部位ごとに誰の言葉かはわからないが、蜂巣・辻村の気になった言葉が抽出された新たな紙が生まれる
③それらを再度、床の線に沿って置き、眺めてみる
気になる言葉にマーカーしていくと、構成や演出にかかってくる言葉もあればモチーフとして魅力的な言葉もある。
ここでは一旦、言葉の方向は考えず、残しておきたい言葉を抽出した。
前回の稽古からこの稽古までに私が文字起こしをしている時間の中で気になってることやアイデアも溜まっていたので、それも蜂巣さんに共有させてもらいました。
それから、部位ごとの発話の展開の傾向については話していたが、出てくる言葉(モチーフ)の傾向を考えなかった。もしかしてそういうこともあるのかな?
と気づいて、あらためてその視点で観察してみました。
文字起こしの紙、抽出した言葉をまとめた紙を部位ごとに並べた状態から、さらに抽出された言葉群から受け取るイメージを、短い言葉にまとめて表現したものを付箋に書いて貼っていきました。
と、ここまで作業を進めたところでなんか行き詰まりを感じて、いったん蜂巣さんと進め方の話しをしました。なんだかまた言葉に重心が偏り過ぎてる気がする。
施術とテキストが同時につくられるのはどうしたらいいのか。
話した結果、ここまでの体験や言葉を受けた状態の辻村がとりあえず何か施術してみる。その施術を受けてどうだったかを蜂巣さんに教えてもらうことにしてみよう、となりました。
つまりここから飛翔するには、単語稽古のアウトプットに蜂巣さんが寄り添う形でなく、単語稽古のアウトプットを手放して蜂巣さんにバトンタッチしていくような感じが必要なんじゃないか。
単語稽古での(言葉の)取れ高がすごいから、これらを抱え込んで、何かの責任をおいそうになっていた。あるいは、こんだけあるかから活かさないともったいないと思っていた。けど違った!
キーワードを含んで辻村が蜂巣さんを触っていく。
そのフィードバックをもらう。
言うのは簡単だけど、はっきりしたよすががないのに人に何かするの、もけっこう勇気いるんだよなあ…、と思った時に、いやでもそれが俳優じゃん!と自分の本分を思い出しました。
そうじゃん。稽古しなよ(自分に対して)
怠けずに飛び込もう。えいやっ
<全身に触れていく>
もっていたイメージ「体の内側、輪郭が浮かび上がる、体の地形」
はじめに背中を広く撫で、背骨に沿って徐々に足のほうへ押していくような手順を、フィードバックを共有しながら何度か繰り返しました。
一回目、二回目は言葉なく、イメージをもって触れていきました。その時間の中でよさそうな触れ方を見つけ、それを言葉にして「サブテキスト」として扱えないか。みたいな事を試していたと思います。3回目では、そのサブテキスト(触れ方)に、文字起こししたものから得たイメージを使って、辻村が即興で言葉を喋りました。以下はその時のメモです。
1回目:
(辻村)施術としてはもうちょっとやりたいな。こんなにササっとで自分の体の状態がちゃんと相手に伝わってるかなと思いながら過ごした。
(蜂巣)もっと時間かけてもいい。
(辻村)手順の全身流してく感じにひっぱられてたと思う。
(蜂巣)蓄積したい。体の地層。
2回目:
(蜂巣)「発見されたという感じがした」自覚的に思ってた所も発見したし、無自覚だったところも発見されて感じがした。
(辻村)サブテキスト「発見していく」だとして、それならセリフとしてどんな言葉でも乗せられる可能性がある。書き起こしの言葉の中から言葉を使ってみようかな。
(蜂巣)自分の体に主眼があるから、セリフを聞いたらびっくりするかもしれないけど。
3回目:動画撮影。
(蜂巣)体の中に闇がある話と体の地形の話。イノシシの内臓の話。言葉を聞いて我に戻ってしまう。足の方の話は具体的な話。もうちょっと足を聞いてからやったらどうなるかな。足の実感の前に話が来たみたいな感じ。
(辻村)私しゃべりすぎ。影の話し出した時に、整体とかで話しかけられる時の嫌さを思い出した。その話聞かなきゃいけませんか、みたいな。
蜂巣さんの体の地形の話をしてるときは比較的良いなと思った。
(蜂巣)自分の感覚に入ってたところを施術者の主観に入らなきゃいけないのがきついかも。会話的なものは入りやすいかも。自分の体を認知した上での話なんだ、というのは安心できる。せいぜい差し込むとしたら、体の地形の中にある「丘」とか「盆地」とかの比喩。わたしの体をそうみるのね~という嫌さもある。比喩を用いるなら肩や背中などの性を感じさせない部位にした方が良い。どこから話をフィクションに引き寄せていくか。フィクションの始め方。
(辻村)最初に、今日どういう話しますってこと言ってもいいかな。「川とか海を旅してこのおぐセンターに戻ってきます」みたいな。
(蜂巣)それが強すぎると施術をどう見ていいか分からなくなるけどね。どこの集中か揃った方が良い。
(二人で話した)このシーンのサブテキストは「発見する、見つける」が合ってるんじゃないか。だから、陰や内臓の話は早いかも。
地形の話をまずする。受け手と施術者が同じものを見てるんだなって感じにしていく。その中にほんの少し比喩を入れる。
施術者、被施術者が二人で発見する。時間をかける。
■稽古の仕方について
・どうフィクションに飛躍するかは編集セクションにまわして、部位ごとに施術の仕方とサブテキスト(触れ方)、それらに相性の良い言葉を探していく
・稽古中の試しに触れてみる時でも、すぐに何かを試すというより、まず触れる時間の中でお互いの了解をとる。今日の二人の状態を知るために、毎回、触れる/触れられるの時間の中に②のような「発見の状態」をつくってから稽古していくのはお互いにとって大事。
<ふくらはぎ>
続いて、比較的モチーフやイメージがはっきりしていて何となく即興でやるハードルが低そう、と直感したふくらはぎに触れらせてもらいました。
蜂巣:これは聞きやすかった。ちょっとセリフっぽい。セリフっぽいのが聞きやすい。
辻村:川の印象が左右対称じゃないのは気持ち悪くなかった?
蜂巣:自分の思い出したこととかがさっと思い出されて、ぱっと飛びつつまたぱっと戻って。その話に対する実感と自分の記憶の体感と。意識は色んなところに行ってた。ともすると眠りそうだった。
辻村:早く夢うつつになればいいと思う。その方が脳内でイメージが飛躍しそうだから。
蜂巣:足単体だと、終わりがいつなのか想像しにくい。今の時間に寄りかかれるかどうか。施術の終わりが想像できないからその瞬間に集中できた。
(辻村:終わりが予感できない状態だと、その瞬間受けているものに没入しやすくなったってことかな)
ここまでが2回目。何か詰まりを感じたらその都度稽古の仕方はどうなんだろうという所に立ち返って仕切り直して、という感じで進んでいて、
結果的にまさに「演技とテキストを同時に立ち上げる」が起きて、稽古終わりに毎回「われわれは本当によくやっている!」という感じになっていてありがたかったです。
■もうだめかも、の3回目の稽古
しかし、その数日後、私はとんでもなく挫折します。
あまりのことに、この後の2回の稽古は記録を取っていません。(なので3回目と4回目については当時の記憶を頼りに書いています。)
端的に言うと、アルバイト先のお店でカスタマーハラスメントに遭い、結果的に私は退職することにしました。事の詳細は書かずに留めておきます。
色んな事を考えましたが、その出来事を境に、お店に行くと体温が下がって力が湧かない、目線を上げられない、その状態を何とかしたいともう思えないようになってしまい、これ以上は続けられないなと判断しました。
たった一人のお客さんとの出来事ですが、これまで接客に関わる中で味わった理不尽さが象徴されているようで、自分の中の堰が切れてしまったのだと思います。(失業保険が出るわけではないので生計のリスクがあっても)
その出来事の翌日、蜂巣さんとの3回目の稽古がありました。
その直前まで、どうにか創作に自分の意識を向けようとしたのですが、どうにも間に合わず、西尾久まで来てもらった蜂巣さんには申し訳ないと思いつつ、予約していた乗る場の利用をキャンセルして、おぐセンターで話を聞いてもらって一緒に定食を食べました。
わたしは家を出るのに気合が必要で、がっつりメイクして、体の線が出るタイトなニットワンピースにヒールブーツをはいて西尾久に向かい、
そして泣きながら、ほっけ定食を完食しました。おぐセンの定食はいつでも美味しいのでおすすめです。
前回の稽古で蜂巣さんと創ったサブテキスト「発見する・見る」
そんな風に人に触れられる自分でいられるか、さすがにこの日はそういう自分を取り戻せる想像ができませんでした。
■その後いかがでしょうか、の4回目の稽古
その数日後、この日は2月なのに春の陽気でとても暖かい日でした。
その前の晩、蜂巣さんが「明日、無理だったら遠慮なく言って下さいね」と連絡をくれました。ありがたいです。
正直にその時の気持ちを伝えられました。この状態の自分が人を温めたり思いやるような作品をつくろうとするのには、矛盾というか無理があると感じている事。それに対して蜂巣さんが言ってくれた、「つじこさん自身が作りたい、作る必要性を感じる、となってないと施術しながら文章稽古は、とくに意味をなさないよ」という言葉と、2月に珍しい春の陽気を受けて、二人で井の頭公園で会う事にしました。まじで企画の存続が危うい時期でした。
・やっててよかった稽古の記録
実はこれを書いているのは4月2日。明日が初日です。記事を書くために、この2月14日のノート(この日はパソコン置いていったので手書きのメモでした)を見返しました。自分的に一番きつかった時期だったのもあってなかなか見返してなかったんですね。でも、見返してよかった、っていうか書いておいてよかった(泣きながらでも)というのは、本番が差し迫ってきてあらためて「この作品ってどういう作品だったっけ?」と自分がなっていたからです。パッケージとしてのまとまりが出てくるほどに、何か忘れているような。自分で繰り返しの上演を可能な形にしていく過程で、本質を逸してはいないか、あるいは説明可能なように単純化しているのではないか。(サロン乗る場でもその傾向があってメンテナンスを必要とした)自分のそんな迷いに応えてくれる言葉が、この日のメモにありました。
・こんな日はまずはひなたぼっこから
まず、私たちは観光の人たちの姿を眺めながらジブリ美術館の近くのベンチに座りました。ひなたぼっこです。私はどうしても先日の一件から心を離すことができていませんでした。あれは一体何だったのか、私はどうすればよかったのか、そこから何を学べばいいのか、言葉を探して言葉で整理して。なにかここから、癒しや疲れや、接客業や労働や、自分をとりまく矛盾への答えを手にしなければ、結論を出さなくては。企画を続けるかどうかの焦りもありました。
そんな私の言葉に耳を傾けながら蜂巣さんが話してくれたこと。メモなので流れが途切れてしまいますが、できるだけそのまま書いてみようと思います。
・予感にのっかる
ジブリ美術館前のベンチからゆるゆると歩き出し、散歩をしました。広いグラウンドの芝生に座りました。暖かくてコートはなくても大丈夫でした。
犬の散歩をしている人、部活のグループ、小さな赤ちゃんと手を繋いでいる人、歩いているおじいさん。色んな人が行ったり来たりしているのを眺めながらゆっくりおしゃべりをしていて、ふと、できるかもしれないという予感んが訪れました。この時は、イメージとかそういうものよりも、色んな気持ちや言葉が溜まっているこの体で、もう一度やってみれそうな気がする、という感じだけがあって触れさせてもらいました。
まずは蜂巣さんの背中と腰を触れて行って、7:40あたりから喋りはじめています。このあとのフィードバックのメモ。断片的なので補足しながら書いていきます。
・ツアーコンダクター、みんなを連れて行って、ある場所に着いたらガイドが喋るみたいな。ある場所までは同行者。着いたらガイドとして話す
・蜂巣さん)八王子の企画で、色んな人の帰り道を聞いてつくった作品。参加者と一緒に帰りながらあるスポットで俳優がエピソードを話す形。
・ある過程をふんだら、つじこの庭で見た風景を喋るのはアリ
・「帰る」
・「帰りたいなー」「寂しいなー」
・帰り道はその日のしんどさが考えられる時間。帰る場所は、誰かのおうち、空のおうち。自分の家が帰りたい場所とも限らないから。
・施術の手順というより発見によって編まれていくような時間。発見からつぎの発見へ。背中や腰のほぐしからそれに関連するおしりの疲れへ。
・この日最大の発見。こんなにセリフいらないかも。テキストで埋め尽くそうとしてた、でも違うそれは。この作品における俳優からの発話の分量、位置づけ。→やり方によっては相手にいやな気持にさせちゃう。→どうだったらそうならないか。
・辻村の、この作品における相手に対する時の態度の稽古をしていたのではないか。自身の傷つきの経験を語り直すことを通して、どんな人が来ても守るべき最低限のラインを創っていたのではないか。
・体に触れる中で起きうることの検証を重ねている。それに対してどのような態度でいることが、安全を担保できるか。さらにこちらの発話を良いものとして受容してもらえるか。ノンバーバルであるからこその難しさ。
・言葉で「サブテキスト」を考える方向がそもそも矛盾していた。自分たちの皮膚の外側にある事について話して、その話を積載した自分で実際演じる。そのフィードバックに再現性のラベルをつけたものがかろうじて「サブテキスト」と呼べるような言葉になるのではないか
・今回の作品のサブテキストを「一緒に見る、見ようとする」としてみよう
■もう一回お願いします!の5回目の稽古
そして!前回までの稽古で、足、背中・腰には触れられたけど、まだ仰向けの施術がやれてない!ということで、あらためてお願いして別日を設定させていただきました。
ここまできたら、サクサクつくっていくよ!という気持ちのラスト稽古。
この日の目的ははっきりしてました。仰向け・頭の触れ方で構成される、二幕をつくりたい。
・セルフサンプリングのアイデア
ここで、実はわたしには二幕でやってみたいなと温めていたアイデアがありました。それは「実話怪談編」のテキストを使う事。
単語稽古で仰向けで触れていた時、なぜか思考の抽象度が上がる、イメージの飛躍が大きくなり、触れられている箇所の物理的な感覚だけではない根拠での発話がある。という傾向を感じていました。
それに加えて、実話怪談編の稽古でもみ譜を用いた時、じっさいに頭に触れながら読んでいたテキストが、今回のテーマやサブテキストと相性が良さそうと思っていた事などが理由です。ここまでみなさんからのアイデアで紡いできたのに、ここに来て思いっきり自分のアイデアを差し込んでよいものだろうか、と迷いつつも試さないままだと後悔しそうだったのでやらせてもらいました。
まず、実話怪談編の当該箇所の映像を見ました。
この動画だと26:00あたりからです。
・単語稽古のアウトプットを再びふりかえる
それから、単語稽古で頭部に触れられた時の言葉の抽出を観察。
「閉じてない頭蓋骨、赤ちゃん、遺骨、陶器」といった言葉が見つかりました。そこから二人で話した仮説がこちら。
・頭触れられてるとき一番思考の抽象度が上がる、生死、過去の時間
・時間に一貫性がなくなる
・頭が揉まれて解放されたとき、自分の輪郭が溶けるような感じがしている?
以上のような流れを受けて、触れる順番とその触れ方に持っているアイデアだけやってみました。
①前脛(触れながら雑談をする。相手の体の疲れについて話す。)
②鎖骨回り→左腕→手指→右腕→手指
③頭(拇指圧迫、揉捏、顔額、目、目温め、頬、頭よしよし)
・くりかえし試してみた
以上のようなフィードバックから、
「板橋区大山」(実話怪談編のテキスト)を腕手指でやってみました。
1回目:
蜂巣:腕、手指をっ触れながら「板橋区大山」はアリ。
「ぱりん」土器が割れた時よかった。耳は気持ちいいけど声聞こえなくなる。
遠くに声を飛ばすのはよかったけどやってる感あった。話の中にその表現をする根拠があったらできそう。
辻村:天フジさんに声かける。「すいませーん天丼下さい」「あー、ビール飲みたい」とか
蜂巣:「板橋区大山」からいきなり天丼は飛躍がやばそう。
辻村:とつぜんの笑い声「すいませんおなかなかなっちゃいました、聞こえました?」「やーおなかすいてるかも、〇〇さん大丈夫ですか?」「すいませーん天丼くださーい」「ビール飲みたいっすね」
2回目:
蜂巣:「板橋区大山」~天ふじはけっこういい
辻村:そのあとの抽象度の高い記憶の話の連なりがやってんなーって感じしてやだな
蜂巣:第二幕は不思議と目を開けたくなる。開いてく感じがある。左右の手で埼玉東京を意識したり桜が出てきたり、東西南北を意識する感じ。地図を意識する感じ。
辻村:野焼きから骨まではよくて、そこから赤ちゃんが、なんかそっちに持っていこうとしてない?という感じがやってて自分でした。見えてる景色を言うのは気に入ってる白いぼんやりしてる、光。辻村が被施術者の視点を代わりに話してるみたいな。
<その時の記録動画>
3回目:
辻村:最後のサウンドスケープどうかな?
蜂巣:ちょっとせわしない感じはした。なんかしっかりと最後は施術も感じたい気もする。20秒に一回何かが起きるくらいのテンポでもいいかも。
起きてることを自分の中でまとめて理解が追いつくのに時間がかかった。さっきまでフィクションだったはずなのに現実っぽいなー、「現実」って?と考えてしまったり、自分の耳を澄ます時間と圧を感じたりしながらする時間と。
辻村:聴覚に関する言葉を言われると触覚との統合が失われてしまうのかな。味わう時間が足りてなかったってことかな。施術を受けている人が聞いているであろう音を辻村が言う方向はどうか
蜂巣:衣擦れの音は言語化されてしまうとちょっと違う感じもした。
辻村:施術者には聞こえてない音をいう事で「こっちが聞こえてる音を想像して言ってるんでしょ」という感じになるのかな。二人ともに聞こえてる音のほうがいいかも。衣擦れは押しつけがましい?
蜂巣:衣擦れの音は第四の壁のようなもの、施術の間見ないようにしていたものにフォーカスが当てられる感じ。
辻村:演技を素っぽくしたところはどうだった?
蜂巣:笑い声自体はいいけど、「聞こえちゃいました?てへ」は受け止めきれない。つじこの表情の機微を受け取る余裕がなかった。
辻村:名前呼ばれるのは?
蜂巣:ちょっと微妙。あ、名前ですかーって感じになる。作為を感じる。
辻村:もしや衣擦れもそうなんじゃないか?作為を感じるというか。エピソードの順番は仮にこうしてみようか→野焼き、葬式、見えてるもの、聞こえるおと
蜂巣:目を手で覆って隠すのはおもしろかった。
辻村:サウンドスケープで終わるのはそーゆーやつね、って感じするよね
蜂巣さん:作品としてまとめようとしてる感じはする
・一幕のサブテキストが<一緒に見る/見ようとする>なら、
二幕のサブテキストは<一緒に味わう>かも
辻村:話の展開、葬式で迷子になるな
蜂巣:演劇に寄せてきてるなって感じがする。話は入ってくるわけではない。単語が入ってくる。「ほね」とか。
辻村:擬音にする?施術で出てそうな音を声にするとか
4回目:
辻村:音から言葉に戻る時が難しかった。擬音から聞こえてる音にうつる時。
蜂巣:その音が絶対聞こえないやつならおもしろい
辻村:そこはフィクションでいいよね。
蜂巣:でもリアルにしていこうとする意識
辻村:それが全部決まったセリフでもいいってこと?聞こえない音をさも今聞こえてるかのように
蜂巣:それが現実にもどっていくよすがになるような気がする
辻村:バスボム(美術として置いてある観賞用バスボム)の溶ける音がする、とか?
蜂巣:ちょうどよかったのは、窓の外で枝が揺れてるんだろうなと思えたこと。部屋の中の音だとノイズとして捉えちゃう。
辻村:なるほど、実際に聞こえてるかは別にして、その場所から聞こえてるかもしれない音(けど実際にはしてない音)という感じかな。だとしたらこれはおぐセンはいってから決めます!最後、カーテンコールどうでした?
蜂巣さん:愛嬌があっていいんじゃない?
<その時の記録動画>
こんな感じで最後の稽古は終了しました。
本当に蜂巣さんには一番大変な所を担っていただいたと思っています。
しかも、私自身にとっても大変な時期に差し掛かり、体力的にも心的にも多くのエネルギ-を使っていただきました。あきらめずに最後まで細やかにお付き合いくださって本当にありがとうございます!
このnoteを見て蜂巣さんがどんな演出家なのか気になった方は、ぜひ蜂巣さんのホームページをご覧ください!
乗る場のnoteでたちくらさんが書いたこちらの記事も、蜂巣さんがどんな風にお仕事されるのか伝わってきますので、ぜひ。
🌸ご予約の方には台本共有いたします🌸
さて、いよいよ「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」の公演期間が始まります!
全42公演=42人限定公演です。
ご予約はまだまだ受付中!
そしてなんと今回、ご予約いただいた方には前日のリマインドメールにて「よみほぐし」で俳優が発話するテキストを共有しております。
直接触れる作品ですが、リラクゼーションサロンのコースを選ぶように、触れられる箇所を事前に選ぶことができない状況です。ですので、何が起こるかを少しでも予測し、安心していただけるように、このような形を取ることにしました。
もちろん、読まないままおいでいただいても大丈夫です!
事前に知っていた方が安心できる方はお読みいただいて、当日のお楽しみにしたい方はそのままおいでください!
今日の記事の内容だと「え、大丈夫なの?」って思わせるような展開もありましたが、3月に入りさらにクリエイションを進める中で、新たな展開を迎え、お客様と出会う準備を整えました。
日当たりのいい、春のうららのおぐセンに、
日々のおつかれを溶かしに来てください!
※本作品はお客様の身体に直接触れる接触型です。作品の特性上、重大な怪我や病気をお持ちの方は観劇をご遠慮いただくようお願い申し上げます。当日は俳優とお客様が一対一で対面しますので、予めご了承ください。
■会場
おぐセンター2階
東京都荒川区西尾久2-31-1
https://maps.app.goo.gl/7dcbFBcQsAKbvK956
Ogu Center
都電荒川線「小台駅」徒歩5分
JR「尾久駅」JR「田端駅」徒歩20分
旧小台通り
■予約フォーム(シバイエンジン)
https://shibai-engine.net/prism/webform.php?d=sej7rjeg
■チケット料金
A:¥4,800
B:¥5,200
※券種の違いによる内容の違いはありません。お客様ご自身で価格をお選びいただけます。
次回は渋木すずさんとの【編集稽古】に続きます!
文章稽古で出揃った各部位の触れ方と言葉の方向性が、いかに再構成されパッケージングされていくか、その様子をレポートしていきます!