サロン乗る場のつくりかた【ふるまい】その2
サロン乗る場は、リラクゼーションサービスの提供を上演として捉え直し、リラクゼーションサービスを構成する要素を円盤に乗る場に参加するアーティストたちに演出してもらう。リラクゼーションサロンの形態した演劇作品です!
前回までのあらすじ!
前回に引き続き【ふるまい】の稽古のレポートです。
円盤に乗る派/ちょっとしたパーティーの渋木すずさんと共に、サロン乗る場にとってしっくりくる接客とは何かを探す旅。
今回は2回目の稽古をレポート。接客を考え続けた先に、サロン乗る場の隠れた設定も誕生しました!
「分け師」という架空の職業
さて、その後の稽古の中で公演に向けて渋木さんと話していった中で大きなポイントとなったのは
「分け師」という、この世界に存在しない職業。
なぜそんなありもしない謎の職業がキーワードになったのか。そんな目線から稽古で起こった事を紐解いていきます。
「分け」「師」(わけし、と読みます)
例えばなんですが、肩とか腰とか、体のここが疲れるって部位があったとして。
じゃあそれ以外の体は?
他にも「自分の体」はあるはずなのに、疲れがたまってるときって、激務で酷使してつらさを自覚している所ばかりを「自分の体」として認識している事ってないだろうか。
あるいは、毎日の生活の中で、自分の体と自分の外側に広がる「社会」や「世間」と一体化していることってないだろうか。
責任やタスクなどに没入して、自分が物体として持っている体積を忘れたりしてないだろうか。
そんな、現実社会と一体化してしまった感覚と「わたし」を分ける!
これがサロン乗る場にとってのリラクゼーションサービスの提供なのではないか?!2回目の稽古ではそんなところにたどりつきました。
まずは前回からの宿題だった、「わたし」をいなくする接客と「わたし」はここにいるぞって思える接客についての観察の結果を渋木さんからシェアしてもらう。
接客の型やマニュアルがあるとしても、それ自体が問題なのではなく、我々はそれを行う人の態度の方を受け取っているのではないかという説。言い換えると、マニュアルを遂行している人がどんな風にそれを演じているのか、演技に対して私たちは感想を持ちがち。
では、サロン乗る場の辻村はどんな態度で臨むのが作品にとっていい感じなのだろう。
それにしても、リラクゼーションサービスの提供は最終的なゴールがあいまいなのではないか。
レストランなら料理の提供。料理なら作ったものを料理人とお客さん、両者が一つのお皿を同時に認識できるけど(もちろん感じ方の差異はあるけど)
でも、提供するものがお客さんのリラックス…ってなんだろう。
共有可能なゴールというものがないために、施術者は際限なく奉仕する傾向にあったり、あるいは際限なく求められることを断る態度にならざるを得ない。
線をはっきり引く、という方法以外に、この傾向を回避することはできないだろうか。
今作がどういう作品なのか。それは「日本リラクゼーション業協会」テキストに書かれている「リラクゼーションとは」のテキストを戯曲として扱った
リラクゼーションサービスの上演。
上記のようなことを、あらかじめお客さんに共有するのはどうだろう。
もみほぐしと演技って似てるな、という発見からリラクゼーションを上演する形態になっていること。
なぜわたしがもみほぐしと演技を似ていると感じるかの仮説の共有。
そういったことをタオルとか畳みながら雑談の延長みたいな感じで説明できないか。
その一連の流れの中で、ローズマリー水をお出して香りを感じてもらったり、施術に向けて感覚を開くようなことを織り込めないだろうか。
サロン乗る場にとっての商品とは?
つくっている中で感じました。こんな風には、いまアルバイトしているお店で施術できないよな、と。
それは、私がどういう人間かという事とは関係なく値段に応じたサービスが受けられることを、そこに来る人は疑っていないような感じがするから。
つまり、支払うことともみほぐされることは全く違う事象にも関わらず、今私がアルバイトしている場所では、価格=受け取れるサービスという幻想が何の疑いもなく流通している。でも、それって本当なんだろうか。
もしかしたら、お金を払っても欲しい物が手に入らない時代が来るかもしれない。
これまで当然受け取れていたサービスが、払支払っても受けられない日が来るかもしれない。
世の中の動きを眺めていて、わたしはそんな事を実感を持って想像するときが増えました。
たとえば、
戦争が始まったり、資本主義が立ち行かなくなった世界にひっそりと存在するマッサージ屋さん。世の中がそんな風になっても人は生きるし体はある。乾ききった世界の中にぽつんと残されたマッサージ屋さん。そこで久しぶりに自分の輪郭を取り戻すような。
いまこの世にはないかもしれないけど
どこかのパラレルワールドにあったかもしれないマッサージ屋さんと
そこにいる「(世界から私の形を分ける)分け師」という架空の職人。
というファンタジー。
これそのものでなくても、
体は今まさにここに在りながら
一瞬でも現実社会からふわっと開放されてパラレルに漂う。
そんな体験ができたら、心も体もリフレッシュできそう。
稽古は、サロン乗る場にとってのリラクゼーションをこんな感じで言語化していきました。
心と身体が日々の緊張から解放される時間を提供すること とは?
つまりリラクゼーションの前提のさらにまえに、日常とは、緊張しているものであり本来の自分からズレているという前提があるわけです。
ではそのズレを元に戻そうとすることがリラクゼーションサービスの成すべきことなのか?!
おかげさまで期間限定リラクゼーションサロン「サロン乗る場」は3/25に千秋楽を迎えました!!
公演期間を無事に終えることができました!
全43公演!!
お越しくださったみなさま、
気にかけてくださったみなさま、
ありがとうございました!!
つくりかたの記録は、あと少し続きます。
ぜひ最後までお付き合いください。
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