【難病】脊髄空洞症だった⑤
「丈夫な体に生んでやれなくてごめん」
2018年5月15日に入院した。
生放送の仕事を終えてから病院へ向かったのだが
その前に個室のすき焼き屋に行った。
10日ほど病院食が続くので
好きなものを食べておこうと言う気持ちもあったが
最大の理由は神戸から来てもらった両親と、
当時付き合っていた彼女を引き合わせるためだった。
妙なタイミングになってしまったが仕方がない。
病室で両親と彼女が鉢合わせしても
手術後の僕に仲介する余裕があるとは限らない。
大手術を前に高まっていた緊張と不安は
ぎこちない両親と彼女の会話のお陰で曖昧になった。
病気と手術について両親に伝えたのはこの数日前のこと。
LINEビデオで二人の顔を見ながら報告をした。
何度も主治医から説明は受けていたし
周囲に話してもいたので慣れてはいたが
さすがに両親を前に説明するのは辛いものがあった。
ひととおり状況を理解すると
「丈夫な体に生んでやれなくてごめん」
と母が泣いた。
出来れば何も言わずに手術をして退院までしてしまおうと思ったが
事後報告するのも違うかと悩んだ末に伝えることにした。
僕はこの病気になって肉体を呪ったこともなければ
母を恨んだことなど1ミリもない。
だが母がそう言うことは薄々と分かっていた。
そんなことを言わせたくなかったし
そんなことを思わせたくなかった。
難病は本人だけでなく周囲も苦しめるのだと知った。
手術の後で
手術室へは歩いていった。
車いすやベッドに乗って運ばれていくイメージだったが
知り合いの家に招待されたかのような感じで
看護師に促されて手術室へ入った。
室内はドラマで見るような暗くて狭いという印象はなく
これから頭蓋骨に穴を開けるというのに
歯科医院のようなフランクな感じだった。
その和やかな空気につられて
麻酔士に全身麻酔がどれくらいで効くのか訊ねると
30秒ほど、と言われた。
手術台に寝そべって全身麻酔を打たれる。
視界がグルグル回り出して
30秒数えるうちに眠ってしまった。
次に目覚めると全身が動かなかった。
厳密には手は動かせるのだが
自分の意志で体を起こす、
という自信がもてず身動きが取れない
という感覚だった。
全く知らない場所にいたが
すぐに集中治療室にいるのだと分かった。
意外なことに目覚めた瞬間から
意識はハッキリしていた。
看護師との意思疎通も問題はなく
3時間ほどの手術を終えて
10時間近く眠ったそうだ。
首を動かそうとすると手術の痕が酷く痛んだ。
想像以上の痛みだった。
両腕には何本もの点滴の管が通され
尿道にも管が通っていた。
尿道の管は首を動かすことが出来ないので見ることは出来なかったが、
事前の説明を思い出してそうなのだろうと思った。
尿を出そうと思わずとも勝手に出る仕組みらしい。
両足には不思議な装置が巻かれていた。
これは足に人工的な圧を掛けることで
寝たきりの間に筋肉の劣化を
防ぐためのものだそうだ。
数秒おきにシュコーという不気味なポンプ音が部屋に響き渡った。
痛みで首を動かせないため
自分で水をのむことが出来ず、
喉が渇くとその度に看護師を呼んでは
水を含ませたスポンジを口の中に当ててもらい
乾きを潤してもらわなければならなかった。
数年前に他界した祖父が入院していた頃、
同じことを私は祖父にしていたが
その時の祖父の気持がわかった気がする。
救いとなったのは看護師の存在だ。
不思議なことに集中治療室に勤務する看護師は
みな容姿端麗だった。
ここは病院の中でもとりわけ
心身ともに弱りきっている患者がいる場所なので
優秀な美人が配属されるという配慮なのだろうかと思った。
そんなバカげたことを考えてしまうほど
看護師たちの行き届いた看護のお陰で
私はパニックにならず正気を保つことができた。
気分が落ち着くと持ち込んだスマホを開いた。
事前にスマホの持ち込みは禁止と説明を受けたが
幼なじみの医師の友人から、
集中治療室に持ち込んでしまえば
あとは問題ないと言われたので持ち込んだ。
肘から先だけを動かしながらスマホを見ると
打ち合わせの依頼があったので
集中治療室にいる旨を伝えたが
特に驚くフリも気遣うようすもなく
いつなら打ち合わせができるかと返信が来て
それ以上のやり取りをやめた。
短文でのやり取りさえ恐ろしく疲れたし
首から下が動かせない状態で
復帰のイメージが沸かなかった。
長い夜
手術を受けた日の夜はとにかく長かった。
長い夜というと、なかなか寝付けない
というイメージがあるが
そういうわけではない。
眠って起きて、泥のように眠った感覚があるのだが
数分しか経っていないのだ。
頭蓋骨に穴を開けたことで
時間の感覚が狂ったのだろうか
そんな訳はないだろうが
その後、何度眠っても同じことの繰り返しだった。
寝て起きてを何度も何度も繰り返すうちに
憂鬱な気分になった。
空けない夜はあるんじゃないかと思いかけた頃、
看護師がラジオをつけてくれた。
ラジオを聞くのは久しぶりだった。
テレビと違って不意に点けたラジオは
誰が喋っているかわからない。
それでも、知らない誰かの喋り声が心地よかった。
安心すると今度はようやく長く眠れた。
《続きます》
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