見出し画像

「写真に必要なのは少しの手間と勇気」の意味がわかった気がしました。【1000字と1枚】

うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』の「おわりに」で幡野広志さんはこう書いています。

写真家として断言できるけど、写真は間違いなく人生を豊かにします。だって目の前の景色を一瞬で精密に記録できるんですよ。写真を撮るのに必要なのは少しの手間と勇気です。技術ではありません。カメラなんてなんでもいいのよ。

『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』

この「少しの手間と勇気」の意味が、この前なんとなくわかった気がしました。

先日、平野レミさんの言葉集『私のまんまで生きてきた。』を無事、校了しました(レミさんの魅力が凝縮された本です。ぜひ読んでください!)。「校了」とはかんたんに言うと、本にするための準備がすべて整って、これで印刷製本してOKです、となることです。校了日は本作りのプレッシャーから解き放たれて、とても達成感がある。めちゃくちゃビールを飲みたくなるんですね(間違いがないか心配でたまらないという人もいます)。

今回はさらにおいしいビールを飲むためにサウナに入りにいくことにしました。ほかの仕事をはやく終わらせてスーパー銭湯へ急ぎます。

サウナ、水風呂、外気浴をしっかり3セット。そのあと露天の泡ぶくぶく風呂に首から上だけ出してほぼ寝そべって入りながら、風呂出たらやっぱり生ビールだよなあ、でも瓶ビールもいいなあとぼーっと考えていたら、となりからドイツ語の会話が聞こえてきました。しゃべるのが早いから内容はよくわからないけど、単語はところどころ聞きとれる(ぼくはドイツに1年間留学していたことがあります)。

声かけよかなどうしよかな、と思いながら、頭の中でドイツ語で話しかけるシュミレーションをしてみます。頭の中でイメージされたぼくはけっこうドイツ語がしゃべれる。いい感じいい感じ。そんなことをしていたらドイツ人(と思われる)2人組は、源泉掛け流しの大きい露天風呂に移っていきました。

あーあ、移動してしまった。でも正直ちょっと安心しました。どうじに、パッと話しかける勇気が出なかったじぶんダサいなあとも思いました。この感じ、「写真を撮りたいなと思ったけど、撮らなくて後悔する」ことに似てる。写真がうまい人は、こういうときに話しかけられる人なんだろうなあ……。

ぼくは写真をはじめてもうすぐ2年。この「撮りたいと思ったけどやめる」でなんど後悔したことか。これじゃだめだ。だめなままだ。意を決して泡ぶくぶく風呂からジャパッと勢いよく出ました。

大きい露天風呂にはいっている2人組に、

「すみません、ドイツから来たんですか?」

とドイツ語で話しかけました。彼らは驚いた顔でぼくの顔を見て、それから満面の笑みになって言いました。

「どうしてドイツ語しゃべれるんですか!?」

彼らはオーストリアからの留学生でした。ぼくのたどたどしいドイツ語にやさしく耳を傾けてくれます。そしてぼくがわかるようにゆっくりしゃべってくれます。通っていた大学はどこですかとか、日本は清潔でいいとか、円安でめちゃくちゃ助かっているとか、日本の会社員が電車で寝ていても降りる駅でちゃんと目を覚ますのが不思議だとか。

パッと出てこない単語や言い回しは日本語や英語の力を借りつつ、30分くらいしゃべって、握手して別れました。ままならない言語で話すことの不自由さから生まれる、全身全霊でじぶんの意図を伝えようとする感覚をひさしぶりに思い出しました。彼らも会話を楽しんでくれていたように思います。

「ちょっとの手間と勇気」ってこういうことかもしれない。脱衣所で濡れた体をふきながら冒頭の幡野さんの言葉を思い出していました。

ぼくが留学していたのはハレという街。毎日広場に出るこのスタンドでよくソーセージを食べていました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?