見出し画像

エンドレスサマー

溶けかけのソフトクリームの甘さも確かめないうちに、夏が去ってしまった。いつだって振り返った時にはもういなくて、夏の残像だけがわたしの瞳に映ったまんま。鮮やかすぎた線香花火は、わたしの心にきらめきだけを残して消えていった。ぽたんと落ちた、真夏の夢。

美しい恋をした。美しい夏だった。

🍦



7月、恋人と夏休みをしようと決めていた。滞在先はゲストハウス。プライバシーという言葉をどこかに置いてきたような古民家の、階段下の小さな部屋だ。魔法使いが住んでいるような光の差さないその部屋が、ひと夏のぼくらの城。

夏休みにすることといえば、寝坊だと決まっている。明日も一緒にいられるのに、まるで今夜だけのように一晩中話をする。最近読んだ本、出会った面白いジョーク、見つけたときめき。言葉が途切れれば、ただ口づけをすればいい。深夜2時、月しかきっとわたしたちを見つけられない。

いつのまにか眠る腕の中、朝起きれば口を開けた恋人がいる。口づけして、朝の吐息を知れるのも、恋人の特権だと知る。「おはよう」と囁くと、恋人は寝ぼけまなこでわたしを抱きしめる。その愛に毎朝射抜かれては、わたしは何度でも生まれ変わる。不死鳥のように。

すっぴんを見られるのが恥ずかしかったけれど、そんなことも言ってられない。そのうち口を開けたままわたしも寝出して、いびきまでかく始末。笑って「直そうね!」と言ってくれるうちが花だなあ、と反省する朝も。

昼過ぎに起き出して、まるで学生気分。二人してボサボサの寝癖、飾らない恋と飾れない日常。カルガモの親子のように後ろをついて回るわたしに笑いながら、二人でそうめんを茹でる。この夏、昼はそうめんしか食べなかったと言っても過言ではないくらい。飽きるほど食べた愛の味。

夜になれば旅人とみんなでご飯を囲む。冷房の効かない古民家で、恋人は軽率にわたしを抱きしめる。「恋人とご飯を作るのが、ずっと夢だったんだ」と無邪気な笑顔で、一緒に台所に立つ。ネギを切って、油で炒めて、卵を割って、ご飯を炊いて。日々の生活の中では忙殺されてしまう一つ一つの工程が、わたしたちにとっては愛を作り上げる作業だ。

🍲



この夏、毎日たくさんのご飯を作った。ゲストハウスが商店街のすぐ側にあるおかげで、わたしは長年の夢を叶えることができた。それは「お肉屋さんでお肉を買う」ということ。歴史ある商店街、地元の人から愛されるお肉屋さん。最初はほんとうにドキドキした。お金を多めに握りしめて、買ったのはたったのささみ一本。それでも嬉しくて、みんなで大切に食べた。

グラムを指定して、目の前で切ってくれるお肉。美しい赤は、新鮮さの証拠。時には恋人と、時には旅人と。紙に包まれたお肉を持った帰り道は、なんだか主人公な気がした。

八百屋さんやお魚屋さんも行ってみた。やっぱりはじめはドキドキしたけれど、売ってくれるひとの顔を見て、手渡しするお金は特別だ。新鮮な食材たちを、腕によりをかけてさらに美味しく。愛のレシピが増え続けた夏だった。

一際思い出に残っているのはビーフシチューだ。冒険好きなわたしは、ルーを使わず作ってみよう!と思いたち、お肉屋さんへ。カットしてもらった美味しいお肉を、弱火でコトコトじっくり2時間。時間を確認せずに作り始めたせいで、食べる頃にはもう21時!そんなわたしに呆れることもなく、ありがとうと笑う恋人。愛情だけはたっぷり詰まったビーフシチューを、それはそれは美味しそうに食べてくれる。「ぼく、こんなに愛で全身が満たされたことないや」と満腹のお腹を抱えて笑う恋人を思わず抱きしめた。そんな夜だった。

そしてこの夏一番作ったのは、チョレギサラダ。恋人に毎日食べたいとねだられたおかげで、わたしは目隠ししてももう作れる。高血圧気味なくせに、濃い味付けが好きな恋人。塩分濃度と同じくらい、わたしの愛も詰まってる。

恋人もご飯を何度か作ってくれた。恋人のチャーハンは、人生で食べたことがないほどパラパラで美味しい。「秘訣は油をたっぷり使うこと!」と誇らしげに言う彼が使う油の量も、きっと愛の量なのだろう。

🍴



そんな日々も、終わりを告げる時が来る。夏は終わってしまうから愛しくて。分かっていても、寂しい、と思わず裾を掴んでしまう。行かないで、と喉から出そうな言葉を必死に理性で押さえ込む。もう大人だから、わたしはきっと綺麗に笑えていたと思う。

また遠距離恋愛が始まる。お別れ前の最後の夜は、みんなで線香花火をした。パチパチと音を立てる火花、BGMは「若者のすべて」。あと何回、夏を過ごせるのだろうとぼんやり思う。きっとこんなに美しい夏はもう来ない。それでも、一度でも、こんなに美しい思い出があるのならきっと、これからも生きていける。そんな気がした。

別れ際、恋人は手紙をくれた。

わたしに愛されて幸せだと、そしてわたしに愛されているひともみんなきっと幸せだと。

「声を聞いたり肌が触れたり目が合ったりする度に愛されていると思い知ります」

と結ばれた手紙。思い知ったか、とつぶやいた瞬間、頬に生ぬるい雫が流れる。恋人に思い知らせることができてよかった。そして、わたしも思い知っている。恋人にとんでもなく愛されていることを、世界はわたしを愛してくれていることを。

夏は終わり、秋が来る。風が冷たくなる頃、きっとまた会えるだろう。それまで、大切にこの熱をあたためつづけたい。肌が触れれば思い知る想いの熱さを、胸に秘めながら。

🎇



いいなと思ったら応援しよう!