本当の暗闇|ダンサーインザダーク
Amazon prime videoで、わざわざ有料レンタルしてまで、『ダンサーインザダーク』を観た。賛否両論ある映画で、公開から20年経ってもなお、この映画が語り継がれていて、いつかは観たいと思っていた。本作は、眼の病気を抱える主人公セルマと、息子ジーン、そして隣人や友人たちとの関係を描く物語。息子のジーンには眼の病気が遺伝しており、いずれ失明する宿命がある。
(以下、大きなネタバレはありませんが内容に一部触れます)
胸糞モノとして有名な映画で、実際に胸がうっとなるシーンが続く。暗くどんよりとした物語に、時折挟まれるミュージカルシーン。徐々に光を失っていく彼女が直面する現実のままならなさの中にも、音と頭の中の自由さがあれば光をもてることを示しているように捉えた。
徐々に眼の病気が進行し、ついに失明に至ってもなお、彼女は息子ジーンのことを祈り続ける。彼女は、将来失明に至るであろう息子のためにお金を貯めていた。皮肉なことに、そのお金がその後の事件のきっかけになってしまうのだが。
彼女のことを気にかけている友人のジェフが、ちょいちょい鋭い質問をする。
「なぜ産んだんだ?」
眼の病気が子供に遺伝すると知っていていたはずなのに、どうして産んだんだ? という質問だった。彼女は泣きながら、こう答えた。
「赤ちゃんを抱きたかったの」と。
よく、何かを生み出すことは罪である、と言われることがある。でも、私たちが生命を繋ぎ続ける理由に、「赤ちゃんを抱きたかった」以上の理由はもしかしてなくて、その欲求に逆らえなかった結果として、ジーンが生まれたのかもしれない。
だとすれば、人を産むこととは、人を殺すことと同じくらい、確かに罪なことだと言えるのかもしれない。彼女は、そのことをしっかりと理解していて、彼女の主観において彼女の残りの生は、息子への贖罪の生だという覚悟があったように見えた。
ついに失明したセルマに、ジェフは「もしかして、目が見えないのか?」という質問をする。
その質問にセルマは、「見るべきものはある? 私はもう見たのよ」と答える。
息子が生まれた瞬間、彼女はもう自分の見たいものを見た。水はそこどこに流れていて、風はいつだって髪をそっと揺らす。頭の中では、いつだってミュージカルが鳴る。
彼女にとっての本当の暗闇とは、歌声も、風の音も、息子の声も聞こえなくなることだったのだ。
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