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私たちは生きる工夫をしなければならない
私たちの日常は、生きるための工夫であるとふと気付いた1週間だった。
こう考えると何もかもが少し楽になると実感した。
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まずは仕事だ。これも生きるための工夫でしかない。極論、生きていけるならば給料をもらうスタイルでなくてもいい。自給自足したり、扶養に入ったり何でも生きていける。
そのはずだけど人が働くのは、貯金をして老後に備えたいとか、好きな仕事がたまたまそうだったとか、はたまた何も考えていないかとか、大体そんなものだろう。
何も考えていない人は置いといて、これらの理由は生きるための工夫でしかない。年を取ったときにゆっくりしたいとか、とにかく今をゆっくりしたいとか、自分の好きにしたらいい。どっちが偉いとか、マジョリティーとかは関係ない。どっちにしろ一長一短なのだから。
老後のために頑張る人は働いているうちはつらいことが多いかもしれないし、今ゆっくりしたい人は老後がどうなるか分からない。どっちにしろしんどいから好きな方を選んだ方がいい。いつ死ぬかなんて分からないですから。
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あとは趣味も生きるための工夫でしかない。推し活だって、音楽だって、映画だって読書だって全部そうだ。
望もうが望まなかろうが、何人も毎日24時間過ごさなければならない。その時間で何をするか、これが人の個性だと思う。何を信条とするか、何を着るかという個性の前に、時間をどう過ごすかだって個性だろう。
だから趣味に高尚も低俗もない。個性なだけだ。趣味がないと言う人は、他者に頼らなくても時間を過ごせるということなのだと思う。自分と対話ができることを誇ってほしい。
もちろん他者に頼る趣味が悪いとは言っていない。私の趣味はざっくり言うと、「誰かが作ったものを鑑賞する」だし。むしろ推しがいる方は人を愛することができるという証明だ。その愛は誰かのためになっているはず、自分も含めて。愛は与えることで与えられるものらしいよ。
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あとは結婚とか、家を買うとか、地位を得るとかだってある人にとっては生きやすくなる工夫の一つに過ぎない。みなが目指すべきことではない。
全部生きるための工夫でしかないと考えると、もし仕事が辛い人は別の工夫をすればいい。孤独な人はコミュニケーションをとる工夫を考えたらいい。少し、行動するハードルが下がる気がする。
こういう意識って自分自身で生みだして実行していくことでしか生きやすくならないですよね。「こうしたらいいよ!」ってSNSや本にいっぱい情報はあるけど、全部しっくりくるわけではないから。それを発信している人だって参考程度に、くらいにしか思っていないだろう多分。
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何のために生きているかは誰も分からないけど、生きるために工夫をすることが人生という時間の使い方だとは思う。
そんなことを思った1週間でした。
新しい職場の近くに図書館があって最近行ってみた。
高校の友達が第一志望の大学に受かったときに、プレゼントであげた本があった。そのときは正直ジャケ買いしただけなのだが、Base Ball Bearの「Power (pop) of love」の中に、
1.0倍速で読み終えた ハン・ガンの『菜食主義者』の感想
消費せず押し付けもせず ふたりの間
漂う花筏のごとく はなしたくねえ
という歌詞があって、ハン・ガンをいつか読みたいなと思っていた。それでハン・ガンやないの、と思って棚から本を出したらすごい見たことある装丁で「あのときの!」となった。『ギリシャ語の時間』です。
こういう経験ってなんか嬉しいよね。点と点が線になるのは気持ちがよい。
家で読む本と、鞄に入っている本と、図書館で読む本の3冊を同時に今は読んでいる。普通に頭の中が散らかっている。
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(映画「晩春」のお父さんが娘に言うセリフ。倒置法史上最もよいとされています。)
今日フェスのチケットを買った。近いし、ベボベとボーディーズ見れるし。欲しいもの全部手に入れようと最近思っています。工夫してる。楽しみ♪
↓これ(スピッツ極私的概論)の続きやるか~。
色色衣(2004)
シングル曲のカップリングと『99ep』、そしてインディーズの頃の「僕はジェット」が収録された。そのような構成も相まってパブリックイメージとしての"スピッツ的"な「スターゲイザー」や、ギターロックの「青春生き残りゲーム」「春夏ロケット」、そしてアコースティックギターのみで演奏された「大宮サンセット」などスピッツの幅広さが実感できる1枚。
スーベニア(2005)
ストレートな詞で歌われる「春の歌」から幕を開け、ストリングスが印象的な「ありふれた人生」、そしてガシガシかき鳴らされるギターリフが癖になる「甘ったれクリーチャー」、誰もが沖縄を想起する「ナンプラー日和」など前半は目まぐるしい展開。アルバムの後半ではバンドのグルーブ感が存分に味わえる。改めてロックバンドとしての演奏力を見せてくれた、ロック好き必聴アルバム。
さざなみ(2007)
すごく前向きなアルバムだ。これからも曲を作り続ける決意表明のような「僕のギター」、スピッツ十八番の突飛な歌詞が楽しい「Na・de・Na・deボーイ」、恋する気持ちの尊さを歌う「不思議」「魔法のコトバ」など非常にポジティブ。これらすべてをまとめて、「ルキンフォー」では自分らしく生きることを目指そうと思える。寄せては返すさざなみのように生きることは悲喜交々だが、聴く人に生きる喜びを思い出させてくれる。
『とげまる』からはリアタイで聴いていたのでね、クソデカ感情をまとめるのに時間がかかりそうです。なので来週書けたら書きたい。
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フラッシュなしだけどかわいさは伝わるよね⁉
みなさん好きなように生きてね。できればあなたらしさを誰からも潰されずに過ごせますよう。
長崎旅行に持って行った写ルンですを現像したので、間に差し込んでみた✌️