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台本を読む、表現する。 - おど森稽古日報.5

好きな作家の戯曲を集めるのが趣味の一つです。
時折古書屋をめぐっては別役実の戯曲がないか探し回り、持っていない作品があったら大喜びして買う。最近はメルカリでも目を光らせています。
他にも『悲劇喜劇』という演劇雑誌を買ったり、岸田國士戯曲賞のノミネート作品を読んだり。大好きなケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲も、買わずにはいられないものもあります。

そんなわけで、「台本を読む」ということが趣味でもあります。
いつからか台本が、戯曲が大好きになっていました。

稽古日報

「台本を読む」とはどういうことなのでしょうか。
人によって、作品によって、それは様々かもしれません。

私は劇団時代、浅利先生が「演劇の99%は台本だ。」と言っていたことをきっと忘れないと思います。役者の気持ちや表現は1%、そばにふりかける七味の一振りでいいと。
正に悲劇喜劇での浅利慶太特集では、誰かが「彼が演出家として秀でている部分は何よりも台本を読み取る力だ」と語っていました。
今でこそミュージカルといえばの劇団四季ですが、最初はストレートプレイ、翻訳劇の劇団でした。確かに今観ても演出や美術、照明。全てが美しいのですが、決して脚本を邪魔しない、それに則ったものであると感じられます。

なんの話やねん、という感じですが、私のまだまだ未熟な台本にも読み取って欲しいものがたんまり詰まっているのです。
こういうことをわざわざこうして言うのもダサい気がしますが、私にはもうそういうプライドがあまりないので書いちゃう。笑

日本語の中でその表現を選んでいる意味。
日本語独特の子音と母音のリズムを利用した歌詞。
独自方言を作ってまでやりたい空気。
倒置法にしている意味。
韻を踏んでいる理由。
その人物が、その人物・考え方である所以。

私の歌詞は覚えにくいと言われがちですが、そりゃあそうです。響きが同じ言葉をわざわざ探していますから。響きが同じなのに意味が違う、みたいな言葉の面白さが大好きなので。母音の少なさを最大に面白おかしく使うことにかなり注力しています。

海外ミュージカルの英語歌詞も散々読んできましたが、英語でもそういうことをしてる歌詞が大好き。韻ふみまくりのやつ。
シェイクスピアの台詞は韻を踏んでるのは有名ですが、やっぱりそういうところにも何かしら起源があるような気がします。

脚本家には人間を殺したり生かしたり、様々な発言をさせる責任があると私は思っています。人を作り出す責任が。なので一人一人、アンサンブルまで、全て私は意味と責任をもって書いています。

アニメーションに意味のないことは一つもない、というのもどこかで聞いた一文ですが、台本もそうです。意味がないことに意味があったり、意味がないことを言うような人間であるということを表す意味があったりもしますが。

実は…意味のない、唐突な、突飛な狂気を描きたかったけど、諦めました。
それは私には才能がないみたい。不条理やりたかった!!

シェイクスピアを読む

シェイクスピアのマクベスでの有名な台詞。

消えろ、消えろ、束の間の燈火!人生は歩き回る影法師。哀れな役者。
舞台の上でおおげさにみえをきっても出番が終われば消えてしまう。
白痴の喋る物語だ。わめき立てる響きと怒りは凄まじいが、
意味はなに一つありはしない。

これは妻であるマクベス夫人が亡くなった報せを聞いた時の台詞の一部です。
今私が台本にこれを書いたらきっと役者に「どういうことですか」と聞かれることでしょう。だけどこれだけ美しい言葉であれば、読み取らねばと考えるかも知れません。私もこういう台詞が書きたいものです。

自分が18歳の頃に台詞課題のためにシェイクスピアを読み漁り、ダンスレッスンのためにフレッド・アステアやジーン・ケリー、ボブ・フォッシーの動画を見まくっていたことが、今台本を読むことやミュージカルを作ることにどれほど影響しているのかは自分でははかりきれません。

だけどやっぱり「台本を読む」「読み取りアウトプットする」ということに永遠にワクワクし続けている自覚はあります。

これは稽古日報なのか?と思うかもしれませんが、稽古の中で感じたことは全て稽古日報となるのです。笑

私も、役者が台本を読み取ってアウトプットしてくれることに大きな歓びを感じます。正解を演じてほしいわけじゃないんです。あなたの目で、体で、経験でしか読み取れない、アウトプットできないその人物を、それぞれの役者越しに見たい。
自分でいいなら私、自分で演じますんで。自分じゃないのが見たいから役者に託して前から見ているんです。たまらない熱を帯びているから、早くこの熱を越して欲しい。脚本家に熱があったままじゃ意味がないのが舞台です。役者を通しての熱しか、お客さんは感じられないのです。(今回は私も出演するけど、熱い部分はそこじゃないので)

こういうことを永遠に考えてしまう。
ああ、演劇が好きだなあと、いつまでも感じられるのは私の唯一の才能かもしれません。涙が出るほど好きなんです。ひどく情けなく、あまりにも恥ずかしいことに。

たまにはあんまり宣伝っぽくない、私の脳内丸出しなだけの稽古日報もいいでしょう。写真ほぼ挟まず文字ぎゅうぎゅうでお送りしましたがお許しください。なぜか涙をこぼしながら書きました。笑

ああ、最後の宣伝のテンプレも載せる気力がないので後日編集します。
ではではでは、風呂に入って眠ろうと思います。おやすみなさい。

また次の稽古日報で。

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ひらたあや(ミュージカル作家)
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