『イタい女』 2
あまり後味の良いモノではない。
自分で引き起こしたこととはいえ、今年一年を締めくくる職場の飲み会でブチ切れ、場の空気を台無しにした上に、泣いてる女を置き去りにして、一人だけ逃げるように帰ったのだが、場の空気を壊すだけ壊して、そのあと何のフォローもせずに、女のフォローも周りの人間に任せ、周囲の同僚たちから後ろ指を指されているのを、なんとなく背中で感じてはいたが、それを判った上で、そんな無責任な行動をとったことは、正直、あまり気分の良いモノではなかった。もちろん、事件を起こした張本人が言うことでもないことは、誰に言われなくても判ってはいるし、幾らメンヘラ女にイラ立ちが募っていたからとはいえ、あんな形で相手のプライドを傷つけ、忘年会という場を台無しにしたことに、何も感じないわけではない。あんな行動をとっておきながら言うのもなんだが、それなりに罪悪感くらいは感じてはいる。
忘年会そのものは一次会で解散し、心配していた終電に乗ることなく、一〇時になる前には家に帰ることができた。飲み会に行く前は、二次会の参加を強要されるんじゃないかという不安もあったが、あの場で誰も二次会に行こうなどという、脳天気な発言ができるような空気でもなかったし、そもそも人目も気にせず泣きじゃくっているメンヘラ女の対応と、路上でグデングデンになっている上司の介抱で、それどころではなかった。
「あら、早かったわね……」
家に帰ると、まだ葵が起きており、ソファーに寝転がったまま、仰向けの状態で手にタブレットを持ったまま、そう声をかけてくる。ソファーの背もたれに頭を乗せたまま、こちらに顔を向けているせいで、エクソシストのような格好になっている。部屋の蛍光灯が消されているせいで、間接照明の当たり具合では、少し不気味に映らなくもない。
どうやら先月契約したばかりの『TVer』で、昔のドラマを観ているらしく、タブレットからは、『何でおれが、男に逃げられた三〇女と一緒に住まないといけないんだよ』と、男の声が聞こえてくる。
「何、観てんの?」
「え? あー、ロンバケ……」
「へ〜、なんか、懐かしいの観てるね〜……」
葵の観ているタブレットをのぞき込むと、ソファーに座り込んだキムタクに、『今、核ミサイルの発射ボタン押したね』と、山口智子が突っかかっているシーンが、ちょうど流れていた。
「たしか、おれが小学生くらいにやってたドラマじゃなかったっけ?」
葵とは三つ歳が離れており、学年で言えば彼女のほうが三つほど上になる。
そして、そんな彼女とは、なぜかコンビニの喫煙所で知り合った。最初は同じコンビニの喫煙所で、よく顔を合わせていたのだけの関係だったのだが、お互いの生活リズムが似ていたことから、コンビニに立ち寄るタイミングが重なることが多かった。そのうちどちらからともなく会釈を交わすようになり、お互いの同じ喫煙者ということもあるが、自然と会話をするようになり、年も近かったこともあるのかもしれないが、すぐに打ち解け、連絡先を交換するのにも、そんなに時間はかからなかった。プライベートでも会うようになってからは、もともとお互いに好意を持っていたというのもあるが、そのころちょうどお互いにフリーだったっこともあり、すぐに交際がスタートすることになり、その流れでなんとなく一緒に住むようになった。
「あ〜、わたしが小学校の高学年くらいじゃなかったかな?」
すでにその質問に対する興味を失っていたらしく、彼女が画面の中に視線を戻したまま、そう興味なさそうに答える。
「あ、もし、なんか食べるんだったら、冷蔵庫にナポリタンが入ってるわよ」
「あ、うん……。ありがとう……。」
とりあえず、そう返事をしてはみたが、なんとなくそんな気分にはなれず、「あ〜……」と少し間を置いてから、「でも、やっぱいいや……」と、言い直した。
せっかくの葵の申し出ではあったが、さっきの一件もあり、何かを口にするような気分でもなかった。よほど浮かない顔をしていたのだろう、こちらの顔色に気づいた葵が、タブレットの画面から目を離し、
「え? なんかあったの?」と、それとなく尋ねてくる。
「いや、なんかあったっていうか、まあ、色々と……」
こちらの含みを持たせた言い方に、葵が煮え切らない様子で、
「は? 色々ってなによ……」
と、タブレットの画面を閉じつつ食いついてくる。
「あ〜、……、前に話してた女いるだろ?」
こちらが、渋々、話しはじめると、「で?」とでも言うような顔でソファーからからだを起こし、「女?」と、さらに聞き返してくる。
「あ〜、ほら、あの纏わりついてくるメンヘラ女がいるって言ってたじゃん」
「ああ、あの〝LINEがウザい女〟? ……」
「そう、その〝LINEがウザい女〟」
「で、その女がどうしたの?」
「うん。まあ、その女が今日の飲み会でめっちゃ絡んで来てさ〜、正直、マジでうんざりしてたから、つい、酔っ払った勢いでブチギレちゃったんだよ……」
「え? ブチギレたって、今日の忘年会で?」
「そう、その忘年会で……」
「え? それ、ほんとに?」
葵のその質問に何も答えずにいると、こちらの反応に何かを察した彼女が、
「みんなドン引きしてたでしょ?」
と、それとなく訊いてくる。
「ああ、ドン引きって言うか、修羅場だったよ……」
あまりに疲れた顔をしていたのだろう、それを聞いた葵が、「修羅場……」と、感慨深く同じ言葉を繰り返す。