『イタい女』 4
例の飲み会の直後というものあるが、前日の夜にあれだけ葵に脅された手前、ぶっちゃけどんな顔をして、次の日の朝に出勤して良いものか判らなかった。憮然としていればいいのか、それとも申し訳なさそうな顔をしていればいいのか……。
翌日出勤すると、すでに小澤さんが、その日の配送準備をしており、堆く積もったコピー用紙のラッピングを、パレットから剥がしているところだった。手には綿菓子のようになったラップの塊が巻きついており、バスケットボールくらいの大きさになっている。
「あ、おはようございます。小澤さん!」
恐るおそる小澤さんの背中に声をかけると、
「あ、おはよう! 浅野くん」
と、あっけらかんとした返事が返ってくる。
身構えて声をかけた、こちらのほうが拍子抜けする。
「いや〜、昨日は年甲斐もなく、飲み過ぎちゃったみたいで、今朝から二日酔いなんだよね〜。やっぱ若いころみたいに、無茶な飲み方しちゃいけないね〜……」
そう言って、バスケットボールくらいになったラップの塊をカゴに投げ入れると、自分の額のあたりを押さえて、苦笑いを浮かべる。
「いや、昨日は、マジ、すみませんでした……。自分も酔った勢いとはいえ、忘年会の場をぶち壊すような真似をしてしまって!」
間髪入れず、そう誤ると、
「え? あ〜、なんだっけ? 浅野くん、めっちゃ怒ってなよね〜」
と、向こうも記憶が朧気らしく、微妙な返答が返ってくる。
「マジ、すみません……」
もう一度、念を押すように、そう謝罪してから、さらに深々と頭を下げる。
「いやいやいや、そんなに謝んないでよ。俺もデリカシーがなかったっていうか、配慮が足りなかったよ」
「いや、だとしても、場の空気を白けさせるような真似をして、みんなが和やかに呑んでる飲み会の場をぶち壊したのは事実なので、ほんとにすみませんでした……」
頭が地面にめり込みそうなほど、深く頭を下げて前屈の体勢をとっていると、それに見かねた小澤さんが、「いやいや、やめてよ! ね。もう頭を上げて! そもそも俺が何か言われたわけじゃないしさ。ね!」と、困り果てて促してくる。
「というか、正直言うと、俺、あんまり昨日のこと覚えてないんだよね〜……」
「え?」
「いや、なんていうか、ほら、飲み会の前半のほうは覚えてるんだけど、浅野くんが彼女にキレた辺り? あの辺りから、記憶が曖昧っていうか、なんとなく彼女のことを、宥めてはいたような気はするんだけど、はっきりと覚えてないっていうか……。後半のほうで気持ち悪くなって、トイレに吐きに行ったのを、なんとなく覚えてるんだけど、そのあとのことはまったく……」
どこか宙を見つめながら、そう思い出しながら小澤さんが告白してくる。
「え? そうなんっすか?」
「いや、これはあとから坪井に聞いたんだけど、どうやら俺、路上で寝転んでたらしいんだよね……。いや、俺はまったく覚えてないんだけどさ〜、坪井が言うには、路上に寝転んで、『帰りたくない!』とか、『もう一軒行くぞぉ〜!』って叫んでたらしいのよぉ〜。かなり迷惑な上司だよね〜……」
「いや、なんていうか、自分は迷惑かけられたっていうか、迷惑をかけた側の人間なので……」
どう反応してよいのか判らず、とりあえずそう答えておいた。
「まあ、それで、そのあとどうにか坪井が俺をタクシーに乗せてくれて、家まで送ってくれたらしいんだけどさ〜、マジで坪井には申し訳ないことしたな〜、ていうか、逆にみんなにも迷惑かけたんじゃないかと思って、なんていうか、酒で記憶を無くしてる自分が、どこかで犯罪でも犯してるんじゃないかと思って、正直、俺もみんなに顔を合わせるのが恐ろしいんだよね〜……」
「あ〜、そうなんっすね……」
小澤さんの話に、なんて答えてよいのか判らず、今度はこちらが困惑していると、そんな自分を差し置いて、
「やっぱ、若いときみたいに、あんな無茶な飲み方は、もうしちゃいけないよね〜……。こらからは、もうちょっと飲み方を考えないとなぁ〜……」
と、感慨深く頷きながら、自分だけの反省会をはじめる。
「そうっすね。そういたほうがいいかもしれないですね……」とも言えず、「いや、そんなこと言わないでくださいよ」ともてきとうなことも言えず、とりあえず場をしのぐための目的で、「あ〜……」と、どちらともとれるような相づちを打っておいた。
「それはそうと、あいつは来てるんですか?」
急に話をふられ、きょとんとする小澤さんが、狐に摘ままれたような顔をする。
「え?」
「あ、なんていうか、あの、おれが昨日泣かせた……」
そこまで言って、漸く話を察してくれたようで、「あ〜、あの」と、手のひらで合点を打つ。
「あ〜、あいつなら、事務所で今日の配送リスト作ってんじゃないの? さっき姿みたけどな〜……」
「あ、マジッすか?」
「何? なんかあったの?」
「いや、なんかっていうか、昨日の今日なんで、一応、謝っておこうと思って……」
「あ〜、そういうことね……。たしか事務所にぃ〜……、あれ? さっきまで事務所に居たんだけどな〜?」
そう言って小澤さんが首を伸ばし、倉庫の外れにある事務所の中を覗き込もうとする。しかし、よく見えないのか、目をこらして細い目をさらに細め、無い首をさらに伸ばそうとする。ただ、ここ最近太りはじめたせいもあるのかもしれないが、小澤さんが背伸びをすればするほど、首を伸ばせば伸ばすほど、顎についた贅肉のせいで、その姿がどう見ても水族館のトドにしか見えず、見苦しさが増していく。
「あ、いや、いいっす! 自分で見てくるんで!」
そう慌てて申告し、目の前にあった段差を飛び降りた。その瞬間だった。
「あ! そうだ! 今日の配送ルートが変わったから、あとで坪井に確認しといてくれ!」
と、タイミング悪く叫んだ小澤さんの声が、背中に届く。
「え?」
着地と同時にふり返ると、運悪く足を拈りそうになって足元がよろめく。二、三歩踏み出して、どうにか体勢を整えてから、
「え? なんか言いました?」
と、もう一度、改めて聞き直した。
「いや、だから、今日の配送ルート変更になったから、あとで坪井に確認しといてくれ! 急に客が発注をキャンセルしたみたいで、浅野には別のルート回ってほしいんだよ! 坪井に詳しい内容を話してるから……、じゃあ頼んだぞ!」
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