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斎藤環先生『「自傷的自己愛」の精神分析』を読みました。

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最近、精神医療に関心を持ち、
精神科医の斎藤環先生を知った。

新刊の題名が自分ドンピシャで、
文字を追う速度がカメのツグモでも、わずか10日間で読了。


数年間、学生でも、働いているでもない
「何者でもない自分」に焦っていた。

そんな中、親しい人が、
人間関係や就活のストレスが引き金となり、精神疾患を発症。

自殺を図った。(幸い、一命はとりとめた。)

入院中、親しい人が何度も口にした

「就職できない自分は社会のお荷物であり、生きるべきではない」

という言葉が、
私にもグサッと刺さった。

同時に、この言葉を肯定することは
生産性の有無でヒトの価値を定めることに繋がってしまうと気づいた。


「就活が、食べるための手段ではなく、
周りから賞賛されるための手段になっている」

と、本にあった。

就活だけでなく、
受験、結婚、子育てなどにおいても同じで、
とても生きづらい社会だなぁと感じる。


「コミュ力が重視されすぎて、『人間力』として判断されることがある」

というのも、
首がもげるほど頷けた。


就活の面接やグループディスカッションでは、

面接官の機嫌を伺いながら
短い時間で自分を売り込める人、

初めましての同世代にも
気後れせず意見を言える人

ばかりが採用されていくのだ。


もちろん、そういう人たちはすごい。


でも、いろいろなことを考えているゆえに
すぐに結論づけて話せない人もいる。

話すのは苦手だけど、
一緒に過ごしてみたら、
とても大切な視点を持っているんだなぁ
と分かる人もいる。


そういう人たちが持つ個性だってすごいはずだけど、
短い時間で分かりやすい結果が好まれる社会では
評価される対象にはなりづらい。


こういうことを言っても、
今の社会をつくりこんでいるのは、

それぞれの時代に「承認」されてきた人々なので
なかなか理解されない。

どんな場所でも、
声の小さき者たち、マイノリティ、社会的弱者が主張したところで
声が届かないことが多いのだ。


だから、

(ご自身でどう思われているか分からないが)
社会的に承認されていて、立場のある斎藤先生が、

「承認」「コミュ力」にはらむ問題を取り上げることは
大いに意味があると思った。


あと、男性である斎藤先生が
「母娘の支配関係」を問題視していて驚いた。

声の小さき者たちの主張が通りにくいのと同じく、

女性の問題は結局女性たちの中で議論されるばかりで、
社会的に高い地位を築いている(ことが多い)男性は
無関心であることが少なくないと感じていたから。


本には、
「母は娘に女性らしさ(控えめさ、優しさ)を求めて支配する」
といったことが書かれていたが、

私の場合は高学歴、高収入など
「強者であること」
を求められて苦しかった時期があるので、

そういう女性も多いのでは?と思った。


それでも今回、
多くの女性が抱えているであろう問題が
丁寧に取り上げられていて、

とても救われたのでした。


おしまい🍑

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