合成フォントは尊い
実はちぐはぐな「こぶりなゴシック」
こぶりなゴシックが好きだ。素朴で、すこし控えめで、たまにとぼけたような顔を見せるところが好き。これを具体的に説明すると、字面が小さく、フトコロが狭いので端正で落ち着いた印象があり、「こ」の一画目、「た」の三画目にハネがなく、「お」のループ部分が丸いので、類似書体の游ゴシックと比べて、より柔和な雰囲気になっている。拡大してみると、エレメントがぬるっとしていて柔らかいのも柔和な雰囲気の要因。と、ここまで書いたのは仮名の特徴であって、漢字はそれにあてはまらない。
こぶりなゴシックの漢字は、ヒラギノ角ゴから流用したものだ。流用といってもそっくりそのまま持ってきているわけではなく、仮名に合わせて大きさを数%縮小している。このちょっとした工夫により漢字と仮名が違和感なく共存しているように見えるが、拡大してよく見てみると、ツンツンしたヒラギノ角ゴと、柔和なこぶりなゴシックが調和していないことに気づく。
このちぐはぐ感は本文やキャプションのサイズ(だいたい8Qから13Qの間)で使う場合にはそんなに気にならないが、大きくすればするほど、目立つ。そんなことはお構いなしに大きく使われているのをよく見かけるけど、こぶりな好きの私としては魚の小骨のような違和感を覚える。これがどうしてもイヤなので、私は游ゴシックの漢字とこぶりなゴシックの仮名を組み合わせた合成フォントを作る。
味岡伸太郎さんのかな書体
漢字3割、仮名7割の文章が読みやすいと言われているように、日本語の文章は仮名がその大部分を占める。つまり和文組版の印象を決定づけるのは仮名である。
「かな書体」は、漢字、仮名、欧文、記号を含む既存の和文書体に組み合わせて使うことを目的とした仮名だけのフォントだ。製作者側の作業効率を考慮しても、かな書体は何万字と必要な漢字を作らなくてもひとつの書体として成立するのだから、非常に効率的である。
グラフィックデザイナーであり、アーティストでもある味岡伸太郎さんはこの考え方に基づき、5種のかな書体からなる「味岡伸太郎かな書体シリーズ」を発表。1980年代中期から90年代初期にかけて一大ムーブメントを起こした(1984年に写植用の書体としてリリースされたこれらのファミリーは、現在デジタルフォントとしてモリサワパスポートに収録されている)。
ブックデザイナーの祖父江慎さんはこう語る。
それまで明朝体というのは、漢字と仮名がセットになっているものだと考えていた僕はびっくりしてしまいました。(中略)味岡さんのこの仕事って、日本語の印刷用書体の大革命だったんです!(『味明物語』より引用)
味岡さんの書体は、当時の書体デザイナー、グラフィックデザイナーに新しい気づきをもたらした。
味岡さんは2018年にも2種の明朝体漢字と10種のかな書体からなる「味明ファミリー」をリリースしている。グラフィックデザイナーの白井敬尚さんがデザインし、味明ファミリーと同年に出版された『老建築稼の歩んだ道 松村正恒著作集』では、「味岡伸太郎かな書体シリーズ」と「味明ファミリー」がふんだんに使われており、かな書体の展開による日本語組版の豊かな表情が一冊の本のなかで体現されている。
和文組版は和字、漢字、欧字の調和により成立する
フォントベンダーの欣喜堂を主宰する今田欣一さんは、自らがデザインした書体を「漢字」「和字(平仮名と片仮名の総称)」「欧字(いわゆる欧文)」の3カテゴリに分けている。なお、通常の和文フォントのようにそれらをひとつに組み合わせたものについては、書道用語を借りて「調和体」と呼んでいる。つまり、欣喜堂が制作し、モリサワからもリリースされているフォント「きざはし金陵」は、和字書体の「きざはし」、漢字書体の「金陵」、欧字書体の「Taurus」からなる調和体ということになる。
欣喜堂独自のこの分類は、もとは中国から輸入した漢字と、漢字を書きくずしたり、一部を抽出することで生み出した和字が、それぞれ全く異なる性質を持つ存在であるということに気づかせてくれる。「和欧混植」といって、和文書体と欧文書体を組み合わせるテクニックがデザインの教科書的な本で必ずと言っていいほど紹介されるが、和字と漢字だって混植していいのだ。
記号にも意識を向けてみる
ここからは、マニアックすぎて同業者からも冷たい目で見られる記号の混植についてである。
ブックデザイナーの松田行正さんは、自ら立ち上げた出版レーベル「牛若丸出版」から毎年1冊ずつ凝った装丁の本を出版している。その奇想天外な造本のアイデアが注目されることが多いが、じつは組版もマニアック。その一例として、松田さんはゴシック体を使う際、読点を別の明朝体に変えることが多い。そのうえ、句読点だけ文字サイズを下げるなど、細かく見ていくと組版へのこだわりに驚かされる。
読点だけ別の書体に変えるなんて手間のかかることのように思えるけれど、イラレやインデザインの合成フォント機能には「特例文字」というオプションがあり、特定の文字を選択して別の書体に変更することができる。これを一度設定してしまえば、流し込んだ文字がすべてその通りに出力される。
混植を行うときに気をつけたいのが、記号を半角/全角のどちらで入力するかである。「!」「?」「&」などは、せっかく混植するなら半角で入力して欧文のデザインにしたい。「、」「。」は横組みの場合、カンマとピリオドにするという手もある。小泉均さんの著書『タイポグラフィ・ハンドブック』はTBゴシックとUniversの合成フォントで組まれているが、日本語で組まれている文章の「、」がUniversのカンマになっているのが、個人的にかなりアツい。
合成フォントは日本語だからこそできること
こぶりなゴシックの漢字を游ゴシックに変えたり、読点を明朝体に変えたりしたところで、一部のマニアにしか気づかれないし、デザインが劇的に良くなるわけでもない。だから、ここまでこだわるべきだと他人に言うつもりはない。自分がそうしたいから(あくまでコッソリと)するのである。
そんなの自己満足じゃんと切り捨てられかねないので、また、行為によって生まれる意味や効果を説明する責任がグラフィックデザイナーにはあると思うので、大義名分を立ててみる。
それぞれ全く異なる性質を持つ漢字、ひらがな、カタカナを一本の中心軸に並べることがすでに難しいのに、それに加えてさらに異質なアルファベットを組み合わせるなんて、日本語は無茶な言語である。しかも、それを縦にも横にも組めるというアクロバティックさが無茶に拍車をかけている。だが、和文組版がこの無茶によって他国ではみられない唯一無二の表情を持つことができているのも確かだ。
多様な文化をどこまでも柔軟な態度で丸ごと飲み込んだような、この器用なのか不器用なのかわからない言語でしかできない表現のひとつが合成フォントだと考えると、尊い気がしてこないだろうか。