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「帰りたい」って、どこへだろう

よく、「帰りたい」と思うことがある。
外にいるときに思うことも、もちろんある。

でもどこに?いま住んでいる家に?
いや、家にいるときにも「帰りたい」と思うことがある。
以前ひとり暮らししていたアパートにいるときも、そうだった。

じゃあ、実家に?ふるさとに?
いやいや、実家に住んでいたときも「帰りたい」と思うことがあった。
家の中、自分の部屋にいるときもだ。

私は、どこに帰りたいんだろう。まさかお空に?とか思ったり。
そもそも私は、私達は、どこから来たんだろう。母ちゃんの腹の中、だけど、その前は?それこそお空ではなかろうか?
なんて、テツガク的なことを考えてみる。


デイサービスで介護の仕事をしていた頃、利用者さんの「帰る」や「帰りたい」によく出会った。
夕方になれば複数の利用者さんが「誰か家まで送ってくれるんだろうか」と、何度も言っていた。
「私が今日、運転手です」というと、安心したような笑顔を見せてくれた。でも、時間が経つとやっぱり不安になる。
外が暗くなると本能的に「帰らないと」と思うのはよく分かる。それで不安な気持ちになることも。

夕方でなくても、「帰ろうかしら」とおもむろに玄関に行こうとする方や、「ここにいてはいけない、帰らなきゃいけないんだ」と、頭を抱えて苦しそうにしている方もいた。

大抵は、よく知っている、いま住んでいる家に帰りたい、という意味のようだ。家族が待っているから、ご飯を作らなくちゃ。理由も様々。
けれど、話をよく聴くと、帰りたい場所がそうとも限らなさそうな場合もあった。

それは故郷だったり、昔住んでいた家だったり。その方のそのとき居る世界によっても変わる。
でも、ご本人にも、その場所が分からないこともあったり。

「自分はどこに行けばいいのか」
分からないとき、そういう真っ暗な洞窟にいるような気持ちになって、不安になるんじゃないかな。この気持ちには、どこに行けば安心できるのか、そういう感情も含まれているのかな、といま思う。
分からないって、分かるとき以上に、不安になるから。
私の「帰りたい」にも、ちょっと似ているものがあるような気がする。


私が「帰りたく」なるのは、寂しいとき、苦しいとき、焦るとき、など。ポジティブな感情のときでないことがほとんどだ。
そんなとき、心の底で求めるものは「安心」ではないかなと思う。
自分を受け容れてくれる、自分らしくいられる、大好きな誰かがいる。
そういう、ホッとするところ。

具体的に「どこかの場所へ」というよりは、「安心したい」という気持ちの表れなのかな、ととりあえずの答えを出しておく。
でも、具体的な場所が浮かんだ方が、自分としてはハッキリしていいなと思うんだけど。そうもいかないのが自分で、人間の心なのかなぁ。


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