制服で床に座り込んでいたあの日の輝かしさを、私はさっき取り戻した
本を読むことの実感がずっと持てなかった
俳優を十数年続けているくせになんてこと言ってるんだと思われるかもしれない
勘違いは避けたいので言っておくと、読書は大好きなのだわたしは
小さい頃から絵本を読み、小学生の時には国語の詩の授業が一番得意で、中学高校はもちろん文系で図書室にもたくさん通った
移動の時や寝る前に本を読むことも多いし、誰かの活字を読むことが大好きだ
しかし、大人になってからの私には邪念がつきまとっていた
と思う
この本を読めばなにかになるかもしれない
人生が変わるかもしれない
何か良いきっかけを掴むことができるかもしれない
夢が叶うかも
と、そこまで言うと少し大袈裟だが、そんなことを脳裏に描きながら、あるいはそればかりを意識しながら
読んでいた時期がある
わかった気になりたかったのかもしれない
もちろんその“邪念思考”になったきっかけはあるが、それは今は省く
またいつか話す時がくるかもしれないし、こないかもしれない
私の人生を深掘りしたいから書いている文章ではない、これは
今、私は、読書時の“邪念思考”から“活字を楽しむ思考”に戻れたということについて書きたいのだ
ちなみに「戻ったな」と思ったのは、ついさっきの事だ(これを書いているのは2025/01/02午後)
早朝に目覚めて、昨年買った雑誌のGOATを読み進めていた時
ふと、本に熱中している自分がいた
それに気付いた
楽しい
次どうなるのか
え、最初はこういうタイプの小説かと思ってたらそうくるか!
華麗な展開だな〜惚れ惚れ
楽しかった
本が好きだ、と実感した
嬉しかった
正確には、気付いたのがさっきだっただけで、思い返せば、もうちょっと前からそうなっていた気もする
そうなれた理由は曖昧だけれど、思考回路がちゃんとした、というか、自分が何かに依存しなくなったのかなと思った
わからないことは、わからないと言っていいんだと、ちゃんと理解したのかもしれない
齢37歳、遅咲きのエリートと呼んでくれ
なにわともあれ
今、私にはきらめきがある
放課後、図書室で見つけた本を、その場で床に座り込み たくさんの本に囲まれながら読んだ、あのワクワク感を取り戻した今の私は、しあわせだ
もちろん貪欲に、欲に塗れながらの読書からも、きっと得たものはあったし、だからこそのアンテナも張れていたとは思う
その読み方でも感動したものはあるし、作品だって
ちゃんとおもしろかったし、その時の自分を否定したいわけでもない
でも、今の読み方ができることが、とても嬉しい
今日からも、たくさん本を、活字を読もうと思う
貪欲に、晴れやかに
あと、個人的には、同じ作品でも“デジタル書籍”で読んだ時と“アナログな紙書籍”で読んだ時の感想は微妙に違うと思っている
あくまで個人の感想です
ちなみに
私の文章は、邪念をそばに置きながら読んでもらうくらいが、きっと丁度いい