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小学生の話

思春期って、殆ど誰にでも訪れる

でもそれって、無邪気から意識的な残酷さが生まれるタイミングにも感じる

人生で最初にいじめを体感したのは、小学4年生の頃だっただろう
突如となく言われた「カンニングしただろ」という一言
事実でもないのに噂が広まるのは早いもので
小学生の社会規模は小規模でもあるし、波及なんて一瞬

正直、カンニングなんてしてないし
したっていう奴の方が、こっち見てたんじゃないか、とさえ思った
でも、言い返さなかった
だって、テスト中は周りを見てないから、状況わからないし
「お前の方だろ」なんて不確定なこと、無責任にも発言できない

そうして、無実の罪を擦り付けられた当時の自分は
一気に無視や陰口、悪口の対象となった

ちなみに、教師はカンニングしていない事実を知っていたので
その一言が巡り巡って耳に入ったときも追及することはなく
話しに来た子に向けて「カンニングしていないのは知ってる、勝手なことを言ってはいけない」「事実のときは、ちゃんと教えて」と伝えていた

その後はテストの度にカンニングの罪を被せられ
冤罪の仕組みを子どもながらに感じていた

進級してクラス替えをした後はカンニングの波は去った
最初の発言者が違うクラスになったからである

但し、いじめは続き、汚いモノを扱うような存在否定もされ始めた
何が凄いって、いじめる側はいじめてる認識なんてないんだ

悪いことをした(冤罪だけど)代償だとでも思って、正義を振りかざす
嫌われてる自覚もあったから、反発するのも面倒臭くて受け容れて
誰かが物を落として自分の方に来たら、そっと机ごと動いて拾い易くした
その時に言われた「偽善者が」ってのはもう、、
元を辿ればお前等だろう、なんて

そもそも、そんな人達に、こっちも近付きたくないし

奴等は触りたくないような仕草をしていたが
それを知った瞬間から、こっちも触れたくなくて避けた部分もある

それは触ってしまった後に「うわ」とか言われたくなかったし
その分こっちも触れると「うわっ」って言ってしまいそうだったから

加害者になりたくないからね
思ってるだけで因果応報してる気分になって、自我を保っていた感じ

他にも色々されたけど、多すぎて書ききれない

加害者側も高学年になれば自覚し始めてるくせに止めないし

友人がいたのもありがたかったけど
一緒に過ごしていて、迷惑かけたくない気持ちもあったから
必要最低限に留めていると言われる「偽善者が」っていう陰口も嫌で

偽善者でもいいけど、仕立て上げてるのもお前等なんだが

唯一救われた気持ちになったのは、小学6年生のとき
席替えで後ろの席になった子の一言だった

普段から椅子を動かすだけでも気を遣う癖がついていたが
その子が不意に「気にしなくていいよ、ごめんね」と言ってきた

「何も知らないのに、他の子に合わせて嫌いに思ってた」
「でも、間違ってるのは私たちだって、少なくとも私はわかってる」
「私に対しては、何も気にせず普通でいいんだよ、ごめんね」

「あ、うん、、ありがとうね、無理しないでね」としか返せなかった
けど、心の奥底から泣き出しそうだったのも覚えている

なんなら「私一人じゃ、何も変えてあげられないのもごめんね」
って、一度に3回も謝られて(その子が悪いわけじゃないのに)

各行事でもいい思い出なんてないままに卒業した小学校
しかもわかってたんだよ、中学進学でなくなるどころか
他の学校の子も含めて、いじめ規模が拡大するなんてこと

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