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世界も自分も日々新しい。
「今感じていること」を信頼する。
これまでと違っても。
思考で決めてきた「良きこと」と違っても。
これまで幸せに生きるためにこういうことをしたら良いんじゃないかって思ってきたことと全然違うけど、それに比べたらそんなこと?って思うようなことだったり、なにか成果とか人に認められることには繋がる感じがぱっとはしないけど、それでも、今、心がそっちに行こうとしてると思うこと。
そういうことを信頼して進んで行った時、どんな景色が見えるか気になる。
これまでもそういうふうに歩んできたつもりだけれど、
やっぱり人生のなかで生きる世界はなんども変わるんだなと思う。
ちょっと前までの世界も、いつかのわたしにとっての理想だったけど
今はまた、新しい世界に進もうとしている。
ものすごく大きな事を変えなくても、人は日々、自分の心に真摯に、正直に開いていたら、いつでも新しい世界にいけるんだ。
わたしはわたしになりたい。
みんなそれぞれ、その人の、魂の道があって、
抵抗したり時にぐっと進んだりしながら、その道を歩いてる。
*
今日せっせと掃除してたら、わりと暗黒時代だったと思ってる中学時代に合唱コンクールで歌った曲の歌詞を思い出した。
他の曲がよかったと言っている友達が多かったけど、わたしはこの曲が結構好きで、大人になってから、作詞が谷川俊太郎だったって知った。
葉末の露がきらめく朝に
何を見つめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
そんなに楽しくなかった中学時代のなかでも、この歌詞が好きだったということは思い出として残っていて、大人になっても胸にあって、時々ふと口ずさむ歌だった。
今日書いたことともなんだか重なっている気がして。
このフレーズにこもっている、世界への信頼、美しさ、日々あたらしい世界のきらめき、そんな”感じ”が、わたしがいのちレベルでどこか求めてることなんだと思う。
この後に続く歌詞が「信じることは生きるみなもと」で、わたしの名字がみやもとなので、微妙に幼馴染だった男子に「みやもと~」って歌われてそんなに嫌じゃなかったり、
冒頭の歌詞「笑うときには大口をあけて おこるときには本気でおこる」のところで友達に「なっちゃんじゃん」って言われてそのころのわたしにとってはすごく恥ずかしかったり。
そんなこともなぜか覚えている(笑)
ただ、「そうか」と思ったのは、大口あけるとかおこるとかで「なっちゃんじゃん」と言われて恥ずかしかった感覚はまさに、つい最近までずっと色濃くあった、自分のなかの素直な欲求、求める気持ちみたいな、素のエネルギーそのものにすごく、「きれいじゃない・恥ずかしい・遠ざけられちゃう」みたいに思ってた気持ちが、現われている記憶だなあと。
今日思い出してやっと、恥ずかしくないよって、恥ずかしいって反射的にきゅっとなる気持ちは残ってるけど、それでも、「そんな自分も愛おしいじゃん。それでよかったんだよ。」と思えた気がする。
谷川俊太郎、人生でちょくちょくいろんなところに出てくる。
やっぱりすごいな。これからの人生でも、何度も出会えるかもしれない。
心の詩人だな。
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なんにもない日だったけど、お母さんとケーキ買いに行って食べた。写真の色すごく可愛くなった。
ぐちゃぐちゃの背景とか写っちゃってるけど、まあいいよ。
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