
シリーズ「独善」0: シリーズ「独善」とは
天上天下唯我独尊
って聞いたことあります?
この世の中で、自分だけが尊い、価値がある、ということです。厳密には違うかもしれません。
ここで私が言いたいのは、仏教用語としての厳密な定義じゃありません。
「自分」は誰?
ご両親は健在ですか?であれば、「お父さんの子供、お母さんの子供」のあなた。あるいは、誰かの兄弟、誰かの恋人、誰かの敵、誰かの味方、誰かのビジネスパートナー、誰かの…
とにかく。「誰かの何か」ですか?あなたは。
違いますよね。あなたは、あなたですよ。
子供の頃、親に「言うことを聞きなさい」と言われ、なぜかわからないけど、とても悔しくて、泣いていたことがあるでしょう。覚えていなければ、近所の子連れを見ていれば、きっと納得がいくと思います。
あなたは、誰かの所有物でしょうか?
あなたは、誰かの従属物でしょうか?
あなたは、誰かの軍隊の兵隊でしょうか?
違いますよね。
あなたは、あなたですよ。
さて、あなたは今、幸せでしょうか。幸せなら、このシリーズを読む必要はありません。どうぞ、お帰りください。
あなたは、幸せではないのですよね。何故だと思います?
このシリーズは、その答えを教えるための文章ではありません。答えを探しやすくするための文章です。
他人があなたの幸せの邪魔をする
人の本質は善だと思います?悪だと思います?
善。悪。それぞれ、どういう概念でしょうか。はっきりとした答えを持っていますか?
なんとなく。「善」は「自分を嬉しくする」、「悪」は「自分を悲しく、辛くする」というイメージがあるでしょう。
それで十分です。社会だとか、国だとか、星だとか、人類だとか。主語が大きい、偉そうな事を言って他人を操ろうとする悪い人達。それは、「悪」です。あなたにとって。
小難しい哲学の話なんて、いりません。ただ、「心地良い」か、「不快」か。これだけが、あなたの「正義」です。「不快」を我慢する先に、あなたの幸せは、これっぽっちもありません。
やめましょう、他人の迷惑なふるまいを我慢するのは。
やめましょう、他人のために、しなくてよい事をするのは。
やめましょう、無理をするのは。
「正義」は、エゴで出来ています。たくさんの人の「こうしたい」が集まった結果、正しいかのように見えるだけなのです。
自分が心地良いことを第一に考える
まるで悪いことかのように感じましたか?それは、呪いです。あなたが幸せになれないようにするために、先祖代々伝えられてきた、最低最悪の呪いです。今すぐ捨てましょう。
自分が心地良くあるために、どんな事が必要でしょうか?少し考えてみてください。
浮かびましたか?
もし浮かばないようでしたら、じゃあ、あなたが他人をおもてなしする時、「心地良く居てもらう」ためにどんな事が必要でしょうか。
浮かびましたか?
つまり、「自分が心地良い状態にあることができる」を満たせるのなら、「他人にも、それをしてあげることができる」んですよ。
自分も、他人も幸せ。それって、とってもいい事ですよね。
他人だけが幸せで、自分は不幸せ。そんなの、不公平じゃないですか。
礼儀だとか。序列だとか。おかしいですよ。まず、自分が幸福にならないと。それがあって、初めて他人に敬意を払う余裕が生まれる。
独善であれ
「自分の幸福の足しになる」という「正義」の軸を立てることができれば、あらゆる判断は秒で可能になります。
「自分の幸福を毀損する」という「悪」を定義できれば、他人が強いてくる、「無駄なこと」をやめることが可能になります。
他人が「いかにも正しそうな、もっともらしい正義論」をふりかざして「同意を求めて来」ても、秒で断れるようになります。
善?偽善?いいえ、独善です。自分の幸せだけ大切にしましょう。
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