墓碑銘に「優秀な営業マン」
どうしようもなく疲れたときは、先に亡くなった人のことを思う。
ある4つ上の先輩は、営業としては途方もなく有能な人だったが、人間としてはわりと典型的な嫌な人間だった。敬意よりも少しだけ嫌悪のほうが勝っていた。44歳で早逝したからといって、その感慨は何も変わらない。
ただ、二年ほど前にその人が風呂場で亡くなっていたという一報を聞いてからというもの、週に一度は必ず思い出す。実の姉より多い。
葬式は行かなかった。
もう私はその業界を離れていたし、とっくに関係性に句読点はついていたからだ。
数日後、亡くなったその先輩のFBに、取引先の一人が「ご冥福をお祈りします、とびきり優秀な営業マンでした」とコメントしていた。
くたばれと思った。
墓碑銘に、優秀な営業マンと刻まれて嬉しい故人がどこにいる。
マンってなんだ。そんなに強かったのなら、なんでこんなことになるんだ。
彼は、私たちの知らない顔で生まれ、知らない表情で死んだ。
彼が生きていれば、少なくとも表面上は営業として軽々とやった薄汚い方法くらいは、私がボロボロになりながらやってやろうとは思っている。
私が、彼が生涯を終えた44歳になったとき、ま、私も私なりの方法でここまではやれましたよ。
そう言えるなら、田舎の知り合いに場所を聞いて墓参りに行く。
二年半なんて、あっという間だ。
今夜のように疲れで身動きが取れない夜は、彼のことを思う。
憎しみにしては、ずいぶんと長いレクイエムだ。