自分で髪を切ったら、別所哲也感のある仕上がりになった話。

夜中、自分で髪を切った。
どこか、別所哲也感のある仕上がりになった。


別所さんは、昔からstay homeしていたのだろうか。
いや、違うな。
だってお歳暮に立派なハムを届けに行ってたもの。
あと、別に別所さんはセルフカットしてるわけじゃないと思うし。

家でできることが一つずつ増えていく。
仕事も、散髪も。
お気に入りの焼肉屋さんでさえ、テイクアウトでハラミ弁当を家で食べたら、うん、全然家でいけたね。ご飯は家で炊けるしね。
子どもたちのワチャワチャも気にしないで良いしね。

そして、唐突にインターハイ中止の話をしたい。


この数日、ずっと書こうと試みたが、書けなかった。
力が入りすぎた。
今、この余裕を失った社会の中では、インターハイへの思いさえ「仕方ないとは思いますが」と言う注釈付きで始めるしかない。

事実、全くもって仕方ないのだ。

でも、自分の存在意義と次の進路を賭けて打ち込んだ一人の高校生にとって、あの長い練習の日々は「仕方ない」の克服ではなかったのか。
あいつに負けても仕方ない。
このプレーできなくても仕方ない。
それをありったけの情熱と時間を費やして超えていく、その過程を私たちは「青春」と呼んできたのではないのか。

「たった一人のオリンピック」という短編ノンフィクションがある。

山際淳司が著した「スローカーブを、もう一球」という文庫の中に入っている小篇だ。

「オリンピックに出れば自分の人生変わるんじゃないか」突然思いついた大学生の津田真男が、初心者からボートのシングルスカルにチャレンジし、全てをボート優先の生活の末、ようやく掴んだ五輪出場権が、モスクワオリンピックと共に幻に消えたという実話だ。

相変わらずアフィリエイトの貼り方も知らない。ただamazonの検索結果 URLを貼り付けただけだ。機会があればぜひ読んで欲しい。


この本を読んだ当時、私は高校2年の冬だった。
今でも最後の二文は暗唱できる。
一人で練習を続けた男の孤独と、その結論のやるせなさが醸し出すヒロイズムを自分に投影することで、当時の私はどうにか気持ちを支えていたのだろうと、今になるとわかる。

一段落だけ思い出話をさせて欲しい。
高二の冬、私の通う進学校には既に受験準備の空気が流れ始めていた。
「今が正念場だ、期末テストか練習かどっちか選べ」と同級生の卓球部員たちに詰め寄ったところ、私以外の全員が鮮やかに期末テストを選んだ。
早い引退だな。
同級生は誰も練習に来なくなった。
最後の県総体、3年生は私一人だけだった。
団体戦は地区予選で早々に負け、シングルスで私は県総体2位になり、インターハイに出て、そして美しく初戦敗退した。

私のような、生涯一度だけの全国大会がインターハイだったレベルの人間は、今どうしているだろう。

自分の人生にとっては、次の大会はもう無い。

だから冒頭、別所哲也から入った。
別所さんが唐突に、インターホンをピンポーンして、
「今年もお世話になりました、これお歳暮です」とハムを抱えた感じで始めれば、さらりと思いを綴れるのではないかと思った。
インターホンをピンポーンと、インターハイとピンポンは、残念ながら、もちろん掛かっている。
これくらいのレトリックを臆面もなく、かませる40歳になったのだ。

もし、今、目の前に県総体が無くなった18歳の私がいたら、私はなんて声をかけるかな。

お前は見つけるよ、また、やりたいこと。
だって、それだけやれたんだから。
今まで通り本を読めばいいし、不思議な詩を書き続ければいい。
あと、映画や芝居の面白さも知ることになる。
人生は、ずっと挑戦だ。
だから、ひとまずお疲れさん。

やっぱり、そんなことしか言えない。

あと、私の卓球キャリアとは比較にならないレベルの話だが、
全日本チャンピオンから餃子屋の道を選んだ男の記事を、ラリーズで前編・後編と公開する。


え、長い告知?
もちろんだ。
それくらいのことは平然とかませる40歳になるのだ、人は。

歳をとるのも、悪くないぜ。


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