後藤新平「人を残すものは…」

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私が最も尊敬する政治家は、ボーイスカウト日本連盟初代総長も務められた後藤新平です。 彼は、もともと政治家を目指していたのですが、遠い親戚に当たる高野長英が「蛮社の獄」で弾圧を受けたこともあり、周囲に反対され、医師の道を歩んだといいます。その後、なんやかんやで官僚となり、政治の道に入り始め、「ゆくゆくは内閣総理大臣になる人だ」と言われていたそうです。しかし、1920年に汚職事件で辞職した前職の後を引き継ぎ、東京市長への就任を打診されます。国政を離れ、出世コースからは外れることとなりますが、これを引き受けます。その際、

一生一度国家の大犠牲となりて一大貧乏くじを引いてみたものの、東京市長はこのかねての思望を達する一端にあらざるか

という言葉を手記に残しています。東京市長として、東京を近代都市として整備する事業を手掛け、後の関東大震災の際には復興担当の大臣として、帝都の復興に尽力しました。

そんな彼が晩年倒れる日に、ボーイスカウト日本連盟第4代総長の三島通陽に残した言葉が次の言葉です。

金を残して死ぬのは下だ。 事業を残して死ぬのは中だ。 人を残して死ぬのが上だ。 (『スカウト十話』三島通陽)

まさに、スカウト運動の普及のために自ら10万円の大金を日本連盟に寄付した後藤の姿を表す言葉であり、スカウト運動が目指すべき大切な心を表している言葉であると思います。

ボーイスカウト運動に携わる指導者は皆ボランティアです。それでも、これだけ一生懸命にできるのは、人を残す喜びを知っているからなのです。自分が指導したスカウトが、たとえ、スカウト活動から離れてしまっても(離れないのが一番ですが…)、社会で活躍する姿を見ることができれば、これほど嬉しいことはないのです。 人を残すためにどうすればよいか。

東京市長時代に後藤はこんな言葉を残したとも言われます。

午後3時ごろの人間は使わない。

お昼前の人間を使うのだ 実績のない若手であっても、信頼して抜擢し、育てていくこと…数十年かかる都市改造計画を進めていく上で、次にしっかり引き継いでいくことの大切さを後藤はきちんと見抜いていたのでしょう。


ではでは。

※参考にさせていただいたページ:http://burari2161.fc2web.com/gotousinpei.html

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