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みんなで資本主義から遁れる、仙郷を作りませんか

 以前まで、は社会学徒として、蒙昧な人間が積極的に公共圏に参加してくれるようになるにはどうしたらいいか考えてきた。どうしたら労働者階級の一員として、労働者同士で支えあうようになるのか考えていた。しかし、11月17日の兵庫県知事選挙でもうすべてが徒労だったと悟るに至ったのである。
 対抗候補の支持者の狼藉はあったにせよ、「そもそも斎藤氏のパワハラは既得権益者の陰謀であった」とする陰謀論が加速し、それに後押しされる形での再選。私はYouTubeの脱ポピュリズムの可能性を探ってきた。しかし、結局その可能性はなくなった。湧いて出るアフィカス。湧いて出るアフィ系YouTuber、湧いて出るクラウドワークス、湧いて出るTiktokリール。すべてがアテンションエコノミーに乗じ、結果的にポピュリズムを後押しする。競争社会の着地としての反知性主義に、もう辟易としてしまったのだ。

 一昨日まで、私はアナルコ・ソーシャリズムを支持していた。理由として、私はこのように述べている。

量子コンピュータとAIのシンギュラリティ 電気が発見されたとき、「今までの労働は電気に置き換えられるので、人々は働かなくてもよくなるだろう」と言われていたことをご存じだろうか。コンピュータが発明されたときも、「ホワイトカラーもコンピューターが代わりに労働してくれるので働かなくてよくなるだろう」と言われていた。働かなくてよくなっているだろうか?むしろ、電気とコンピュータで余剰になった時間と労働者を営業に回し、より高い利潤を求めるようになったではないか。これから先、量子コンピュータとAIによって再度産業革命が起こるであろう。このシンギュラリティの前に資本主義から脱さなければ、また余剰になった人間と時間はさらなる利潤のために回され、決して楽にならない。余剰になった人間と時間は、余暇にこそ回るべきなのだ。

労働負担の不均衡 この資本主義下、エッセンシャルジョブほど儲からず、ブルシットジョブほど儲かるようになっている。この不均衡を正すには、金を持つに値しない金持ちから富を奪うとともに、収益性の高い事業と低い事業を統合しなければならない。それには社会主義が不可欠だ。

https://note.com/greater_sagamist/n/n7e7e24174f3d

 しかし、当の民草がここまで政治扇動に弱く、無知蒙昧だとは思わなかった。こんな消費主義の奴隷であることを誇らしげにする愚民に、直接民主主義は早かったのだ。

 しかし、引用で指摘したような株主資本主義の歪みは、石丸や斎藤に票を投じた都市の民にも同じく降りかかる。
 都市の民がこの歪みを国政で治す気がないなら、どう直すのだろうか。答えは農村にあった。

 考えてみれば、なぜ我々はフルタイムを農業に注いでいないにも関わらず腹いっぱい食べられているのだろうか。それは他でもなく農畜産業の進歩である。
 非現実的な話ではあるが、日本に多くの平野があり、国民の大多数が農業に従事したと仮定すれば、より多く収穫できるはずだ。実際、狩猟採集民や農耕社会においては、先進国よりも余暇時間が長いことが様々な文化人類学者から指摘されている。

https://rootport.hateblo.jp/entry/2016/06/28/223000

 しかし、現代社会では、農業に従事する必要がなくなった人々を営業やコンサルなどに充て、もはや国民の5%しか第一次産業に従事していない状況にある。
 つまり、農耕と工業的成果を集産し、その余剰時間を余暇にあてれば、わざわざあくせくウェブ広告の営業テレアポなんかせずともゴロゴロして過ごせるはずだ。
 
 今の日本社会では、発生した余剰価値を更なる利潤追求のために投資する。これは引用部の第一項でも指摘したことだ。これに対する私の提案はこうだ。
 山林に籠り、余剰価値を余暇に回す隠れ里「土蜘蛛荘つちぐものしょうを作ろう

 成功のためには条件がいくつかいるだろう。
 まず一点として、今の日本で全国規模に農本主義を実行しても成功しないだろう。なぜならば日本は第二次産業の重工業および第三次産業で稼ぎ、そこで海外から畜産飼料と食料を購入することで人口の糊口をしのいでいる。今の日本は国内の食糧生産能力に対して人口が上回っている。土蜘蛛荘では産児を制限する必要があるだろう。
 それから、私有財産を否定する必要はないが、農具や玩具で共有するものを多くし、なるべく権力勾配を産まないように気をつけなけらばならない。「借り」や「恩」を覚えないことで競争社会に巻き込まれなくする、ゾミアの知恵を十二分に借りる必要があるといえよう。

 今の日本では新自由主義が猛威を振るっている。しかし老子風に言うなら、「今の競争社会では、みんな満ち足りていないと感じている。だからこそ、もっと競争すれば満ち足りるようになると語らう人々が続くのだ」。
 フランスからも、「自然に帰れ」との声が聞こえる。エンクロージャーのせいで人々は豊かになるどころか、賃労働に追われるようになった。しかし老子風に言うなら、「あばら家に住み、何も持たなければ、貧しくなることもない。なぜならば、何も奪われる謂れはないからだ」。
 今やウクライナ、台湾、ガザ、トランプと世界はきな臭くなっているのは、まるで三国の戦国時代に突入しつつある魏のようだ。だからこそ、我々は竹林に籠り、本を読みふけって躺平しようではないか。

 我々はヤマト王権が侵略してくる前の神々、すなわち自然のみを畏れ、軽工業に専念し、余剰食物の生産に腐心すれば、きっと余暇は長くなる。ネオンの谷間よりも楽しい緑の遊び場が裏手に大きく広がっているはずだ。


 


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