うらみつらみはなかなか根深い
先日
次男が卒業した高校の学校行事があり
久しぶりに
懐かしい高校へ行ってきた。
変わらない通学路、
変わらない校舎。
部活の応援や学校行事で
わたしもたびたび足を運んだ学校だが、
卒業しても全然変わってなくて
当時を思い出してとても懐かしい。
次男は
この高校でバスケがしたい!
と希望を抱いて入学し、
3年間
よい仲間とともにバスケに打ち込んだ。
部活も勉強も頑張る
という学校で、
よい雰囲気の中で
勉強もしっかりやっていた。
次男が
かけがえのない高校生活を送った学校。
親としても
とてもお世話になったという思いがあり、
改めて
よい学校だったな…と
しみじみ感じる。
変わらずに
校舎は古いけれど
きれいに使われていて
ゴミが放置されたりしていない。
生徒たちは
気持ちよく挨拶をしてくれる。
まるで自分の母校であるかのように
誇らしくなる。
体育館で行われた記念行事では
生徒たちが発表をしたり
部活の披露をしたり。
後輩たちの頑張っている姿を見て
微笑ましくなる。
そして
記念行事の終わりの方で
生徒たちが校歌を歌うコーナーがあって、
そこで
わたしはびっくりした。
校歌に
ほとんど聞き覚えがないのだ。
当時
あんなに学校行事にも参加していたのに
何度も学校に足を運んでいたのに、
校歌が
まるで初めて聞いたかのような
馴染みのないものに聞こえた…
あぁ
思い出した。
次男は
コロナ禍が始まった年の入学で、
入学式に保護者は参加できなかった。
入学してもしばらく自宅生活。
学校に通えるようになっても
ずっと
ずっと
マスク生活。
卒業式ですら
マスク着用だった。
そして
式の中で
校歌は歌われなかった。
歌は
感染を広げるからという理由だった。
マスクをしたまま
校歌は歌われずに
次男の高校生活は終わった。
校歌ばかりじゃない。
修学旅行にも行けなかったし
部活にもずいぶん制限があった。
コロナ禍で過ごした高校生活。
本人たちは当たり前のように
それなりに楽しそうに過ごしていたけれど、
わたしの中では
時間がたっても
じくじくと痛む古傷みたいに
あの頃のやるせない気持ちは
ちっとも薄れていない。
悔しくて
切なくて
どうしようもない
やり場のない思い。
返せ。
と
言いたくて
でも
誰に
何に
向かって言えばいいのだろう。
聞き慣れない校歌を
堂々と
朗々と
歌う声を聞きながら、
歌えるようになってよかったね
と思いながら、
いやしかし
わたしの中の
うらみつらみは
そう簡単には消えはしないなと
ぐっと唇を噛んだ。
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