メモの効用で実感していること
メモと記録の楽しさとちょっとしたメリットに関して書いてみます。日記とかの良い点で語られるものと同じだと思うのですが、実感を伴って感じたので、わざわざ書きます。
まだはじめて2ヶ月くらいだけど、毎日30分単位で自分のやったことと、考えたことをGoogleカレンダーに記載しています。
もともとは、自分の時間の使い方をもっと効率的にしたいとか、生産性をあげたいみたいな、下世話な欲求だったように思いますが、これが自分にとっては、けっこう楽しさを伴う作業だったのです。
まず、自分のやっていることとか、考えていることって本当にすぐに忘れるので、それをちょっと振り返れるのが楽しい。
あぁ、1ヶ月前にはこんなことを考えていたんだとか、これ食べに行ったなとか、振り返れることが大きい。
夏になると、学生時代とかを思い出す瞬間があるのですが、なんとなくの雰囲気しか覚えていない…それでもかなりいい思い出ではあるのですが、少しでも記録しておけば良かったと後悔しています。
当時、自分がどんな風に感じたかとか考えていたこととかが思い出せないのは、やっぱりもったいないことしたなと思っています。その時にしか感じれない、考えることができないものと、もう触れ合えないという残念さが心にあります。どんなときも、その感情や考えていることは、1回きりの貴重な体験でしょう。
これは多分、10年後を想像しても同じことを考えるのではないかと今は思っています。時間が経った時に、当時の感情や出来事を振り返れるのはデカい。自分だけのディティールな物語を構築できるのですから。
おそらく人間は、物語でしか自分の位置を把握したり、良し悪しを判断することができない。だから、年月の積み重ねは記録しておかないと、自分なりの歴史の物語を自分に語ることができなくなるのは、後から後悔しても遅いのではないかと考えています。
あ、書いていて思ったのですが、起きた事件とか時代を自分がどう捉えていたかとかも書いておくといいかもしれないですね。
それから、これは当初の欲望に応えるものかなと思うのですが、なんだかんだ積み上げていて成長した部分とかに気づける。
これも人間の忘れやすさに関係することだと思いますが、1年単位ではディティールまで含めると、めちゃくちゃ何かを感じ、考えて実行に移しているものです。
全然成果出ないなぁとか、思っているようにいかないなぁ、となんとなく思っていても、実は何かしらの行動したことが積み上がっているものを実感できる。「私たちはいつも、今後2年で起こる変化を過大評価し、今後10年で起こる変化を過小評価してしまう。」とよく引用される文言を思い出せると思う。
本当に小さい変化でも、自分の実感を伴っていれば、2年ではなく10年単位で積もって、振り返るとかなり遠くまで行けるのではなどと考えています。
この実感を伴えることが、記録することの最大の効用かなと、今のところ考えています。