NHKスペシャル 1943年特集を見て

「NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1943 国家総力戦の真実 前後編」をみた。

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/9YZLW91P7L/

真珠湾の成功とともに年の瀬を越えて迎えた、1942年の元旦とは打って変わった年を迎えることになった。1943年からは、敗北が積み重なり、一般市民や学生たちも総動員した国家体制になっていく。

「徴用」「学徒出陣」「軍属」といった言葉で、戦闘機工場、特攻、軍人以外も戦闘に駆り立てられていく年となっていった。
市区町村には、学生たちから志願兵をリクルートするノルマが課せれていたし、農家にはコメの増産を命じつつも、兵役や徴用で、若い人材たちは吸い上げていった。兵役などに就いていないと、近所からの視線に肩身が狭くなっていったのもこの頃のようだ。

飛行場建設をしていた、ブーゲンビル島では、山本五十六は銃撃され、アッツ島での戦いは、自爆攻撃の様相になっていった。山本五十六は国葬され、アッツ島の兵士たちは、玉砕と美化して大本営は発表するようになっていく。もうそこに論理的な説明などはなくっている。魂や美しい精神などと言い出したら国家は変な方向に向かい出すのかもしれない。

まぁ後知恵だからなんとでも言えるけれど、1943年の最後の方までには、いくらでも降伏する機会はあったのではないかと思える。ほとんどこれまでの意思決定のメンツを潰さないための意地で、戦争を長引かせていているとしか見えない。素人目には、沖縄の地上戦や2つの原爆まで、引っ張る合理性はあったのだろうかと思ってしまう。当時の感覚では全然違うのかもしれないが、15歳を特攻に志願させるのは、さすがに狂いすぎな気もする。

とはいえ、当時は帝国主義的発想が世界史の主流だろう。実際ドイツも降伏したら東西に別れて統治されてしまったし、日本としても降伏したら主権を取り戻せないかもと考えていたのかもしれない。
たしかに、もしルース・ベネディクトらが違った結論を出して、天皇制がなくなっていたら、朝鮮戦争を皮切りにした逆コースから高度経済成長を迎えることがなかったら、今頃どうなっていたんだろうと思うところはある。

途中で引き返すことは、それはときに、継続するよりも勇気のいることだ。
一度始めてしまった戦争を自らやめるという決断をする方が、勇気を要したはずだ。今の世でも、前提が変わった状況でも、延々と引き延ばされる政策があったり、慣習が残ったりしている事例は事欠かないと思っている。
ネタがガチになって出口がなくなってしまいがちなのだ。
そのことは、先の戦争の教訓として覚えておきたいことのひとつだ。

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