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Saxとの出会い

僕は神奈川県横浜市戸塚区の生まれだが、その頃の記憶は全くなくて、物心ついた頃には大阪府は枚方市に住んでいた。
小学校で枚方市内で一度転校したのだが、その転校で失敗をして、いじめを受けた。
前の学校ではいじめなど全くなかったので、結構辛かった…と思う。
風の噂を聞きつけ、前の学校のクラスメイトが会いに来てくれたりもした。
小学3年の2学期に引っ越しをして、4年になる頃にはすっかりいじめはなくなっていたのでそれなりに楽しく過ごしていたが、5,6年の担任の先生とどうしてか反りが合わなかったせいで、成績が40人中40番になった。
何かの委員に立候補をして、多数決で僕が1番になったのに
「ツボはアカン。次点のあなた、やりなさい」
みたいな事もあった。
自分にも悪いところはいっぱいあったと思う。夏休みの宿題はよくほっぽらかしてたし、忘れ物も多かったし。。。

成績が悪くなるに連れて、友達が離れていったのはとってもショックだった。
6年の時に、ふとした怪我で膝にみずが溜まり、あえて少しみずを溜めて切り出した事があったのだが、運悪くそれが修学旅行と重なってしまい、旅行に行けなかった。それはそれは悲しかったが、みんなが旅行から帰って次の登校日に、僕の顔をみて
「ほらな!」
って言った友達がいて(その友達は夏休みにウチに泊まりに来る様な間柄だった)、そっちの方が無茶苦茶ショックだった。
なんで『ほらな!』だったんだろうか…今でもその理由聞いてみたい。。。

小学校の卒業文集に、将来の夢は『牧場主』って書いてた。
今の環境から離れて、一人になりたかったんだと思う。
中学に進学する際、親から
「啓光学園に行かないか?」
と言われた時、二つ返事で行きたいって言ったと思う。
地元の中学に行っても環境は変わらない。
自分の事を知らない人に囲まれて、人生をリセットしたいって強く思った。
そしてそこで、なんでも良いから
自分にはコレがあるという何かを掴みたいって強く思ってた。

現役時代の写真が見つからなくて、OBとして復活したやつしかなかったんだがf^_^;)
その当時の啓光学園の音楽部は吹奏楽部ではなく、軽音楽部しかなかった。
ビッグバンドというJazzのスタイルをやっていた。

入学式が終わるとしばらく待って、新入生歓迎演奏が始まった。
初めて聴くビックバンドサウンドに釘付け♪
一番カッコ良かったのはトランペット🎺❣️
大都会PartⅢのテーマを高らかに吹いているのを前にして
『こんなカッコいい音楽があったのか』って心が躍った🕺✨

入学式当日に音楽室に行き、即入部した。そして
「トランペットがしたいです!」
すると顧問の先生から
「君は歯並びが悪いから、トランペットは無理だ」
と言われ、それがアルトサックスとの出会いだった。
新入生歓迎演奏の際、マイク等はソロマイク以外なかった。
小学校の音楽の時間には習わなかったその楽器は、最前列で一生懸命演奏していたにもかかわらず、音がほとんど届かなかった…それがサックスの第1印象💦
10日間くらい、トランペットにならなかったことを残念に思ったが…
サックスにハマるのにそれほど時間はかからなかった。
授業が終わると真っ先に音楽室に行って、サックスをずっと吹いてた。
中学生になって、人生は一変した❣️


『人間万事塞翁が馬』ってことわざが好きだ。

小学校の時に味わったいじめや友達離れがなければ
もしかしたら地元の中学に行って、SaxやJazzに出会わなかったかもしれない…
そう思うと、小学校の体験も必然の出来事だった訳で。。。
今から振り返ると、感謝の気持ちでいっぱいだ🙏💕

啓光学園は現在常翔啓光学園と母体を変えている。
先月、常翔グループ100周年記念のイベントに参加させていただく機会に恵まれた。
自分に演奏の悦びを教えてくれた場所に舞い戻れた気がして、とても嬉しかった☺️

これからもこの場所に集う子供たちにとって、何かを見つけられることのできる場所であって欲しい。
たとえ上手く行かない子供たちがいたとしても、それは未来に必ずやってくるチャンスの礎でありますように🙏

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