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サンシティでなんかプレイしないぜ

 クリスマスに合わせて、與那覇潤さんがとてもいい記事をアップしている。

 この記事は、かつて話題になったBand Aidというチャリティ企画に関するものだ。このBand Aidの商業的成功は他の企画への呼び水となった。私もこのBand Aidの曲やその後の、この記事で取り上げる企画をリアルタイムで聞いていたし、ちょうどミュージックビデオが地上波などでも盛んに放映されていたため、よく見ていた。與那覇さんが取り上げているのはこの曲が、後に炎上することになったことに関してなので、その点に関しては是非與那覇さんの記事を読んでいただければと思う。

 みんな若いなぁ…(遠い目)

『サン・シティ』とは

 イギリス系のアーティストが中心となっていた"Band Aid"に対して、アメリカのアーティストが中心となって成功を収めたのが、ご存知"We are the World" by USA for Africa であるが、私が今回取り上げたいのはそれではない。

 サムネ画像からして既に、Band AidやWe are the worldと比較するまでもなく、Bonoが睨みつけていて、何やら不穏な雰囲気を醸し出している。このSun Cityの楽曲とチャリティ企画を立ち上げたのはSteve Van Zandtである。この名前でピンときた方はそこそこ洋楽通だろう。
 Steve Van Zandt(スティーブ・ヴァン・ザント)は、We are the worldのサビをダミ声シャウトで優しい雰囲気を一気にロックンロールの世界にしてしまったThe BossことBruce Springsteenの盟友にしてE Street Bandのギタリストである。Bruce Springsteenとの活動の他に、ソロアーティストとしても活動しているが、日本ではあまり人気が出なかった。私はとても好きなアーティストで、日本で人気が出なかったことは今でも残念に思っている。
 スティーブ・ヴァン・ザント(日本語Wikipediaなし)

  彼がもともとソロアルバム用に書いていた曲を、どうせなら反アパルトヘイトの活動に役立てたいと考えて、Bruce Springsteenや、"Sun City"を書くきっかけになった楽曲"Biko"のPeter Gabrielなどに声をかけてプロジェクトが進んだ。

 この曲は、南アフリカの反アパルトヘイトの活動家、スティーブ・ビコの事を歌ったものである。
 かつて、南アフリカには人種隔離政策「アパルトヘイト」により、白人と非白人が法的に差別されていた。当然ながら日本人も非白人なのだが、日本人は「名誉白人」扱いだったとされている。個人的には、名誉白人などと呼ばれて浮かれるような人間にはなりたくないと、若造だった私は思っていた。
 サンシティは、南アフリカの高級リゾートで、当時は白人専用だった。このサンシティでのライブは、高額のギャランティが支払われるということで、その金に惹きつけられたアーティストがこぞって公演をしていた。南アフリカの人種隔離政策に疑問を抱いていたSteve Van Zandtは、Peter Gabrielの"Biko"を聴いてインスパイアされ、「オレはサンシティでなんかプレイしないぜ!」という極めてストレートな歌詞の曲を書いたのである。

スティーブ・ビコについて

 スティーブ・ビコについて、私が中途半端な知識で書いても仕方ないので、 Wikipediaを参照していただくのがいいかと思うが、私が初めて"Biko"を聴いたときも、その後に"Sun City"を聴いたときにも、当然ながらインターネットなどというものもなく、なのでWikipediaもなかった。情報源はアルバムのライナーノーツや音楽雑誌の記事が中心で、1988年にスティーブ・ビコの著書が日本語訳されて出版されていることにも気づいていなかった。
 なので、音楽は様々なことを考える入口になりつつも、そこから興味を広げて情報を得るのはなかなか大変だった。
『俺は書きたいことを書く』を買ったのはAmazonの履歴によれば2013年。買ってからずっと積読状態になり11年が経過してしまった。情けない話である。

 そんな次第なので、スティーブ・ビコに関しては大した知識がない状態が続いている。これもなにかの縁なので、年末年始でできる限り読んでみようと思う。

 それでも、"Biko"がスティーブ・ビコという反アパルトヘイト活動家の事を歌った曲であり、というかそのスティーブ・ビコの死を歌った曲である事を知ってから、人種問題に関する興味は続いているのである。

アメリカにおける人種について

 サンシティでなんかプレイしないぜってロックンローラーを気取っても、Steve Van Zandtだって白人なんだから差別する側やん、という考え方は、一面真っ当に思えるが、実は微妙に異なっている。
 Steve Van Zandtは両親ともイタリア系、Bruce Springsteenは、父親がオランダ及びアイルランド系、母親がイタリア系である。つまり、白人ではあるが、アングロサクソンではない。いわゆるWASPと呼ばれるイギリス出身移民の子孫でプロテスタント信者がアメリカ合衆国における最大保守勢力であり、もっとも力を持っていた。そういう社会において、イタリア系やアイルランド系は、白人の中でも立場が微妙だったのである。白人の中にも出自によってヒエラルキーがある。それがアメリカだ。
 そういう事を知る切っ掛けになったのは、まさにBruce Springsteenを聴いて、ライナーノーツや雑誌の記事を読み、伝記本を読んだりしたことである。

 白人ではあるが、ラテン系であったBruce SpringsteenやSteve Van Zandtにとっては、"Born in the USA"や"Voice of America"というタイトルのアルバムを作りながらも、アメリカ、マンセー、いつでもグレイト、などという能天気さはなく、常に母国アメリカに対する懐疑が作品世界に現れている。

 アルバム"Born in the USA"のタイトル曲はベトナム帰還兵を歌ったものであり、アルバム"Voice of America"のタイトル曲はアメリカ社会の矛盾をテーマにしているから、タイトルからアメリカ礼賛かと勘違いされる方もあるかもしれない。実際、当時の共和党の大統領が曲も聞かずにアメリカ礼賛ソングだと勘違いした発言をして、総ツッコミにあったこともある。
 Steve Van ZandtはBruce Sprigsteen よりもストレートな政治的メッセージを歌った曲が多く、Sun Cityもそういう方向性での曲だった。
 当然ながら、白人中心主義に批判的な歌詞が原因で、アメリカのFM局ではエアプレイが敬遠されてしまい、商業的には大成功とまではいかなかったようである。
 "Sun City"のMVを観ても分かる通り、黒人アーティストの比率が高いので、そういう面も影響しているかと思われる。

それでも時代を超えて残るもの

"Sun City"の冒頭部分では、Miles Davisの演奏が聞けるが、これが当初は数秒程度の演奏を考えいていたところ、数分にわたる演奏をしたため、別の曲としてアレンジしたうえで、アルバムに収録している。MV冒頭の鬼気迫るMiles Davisの演奏も今となってはとても貴重であろう。

 AmazonのリンクはCDアルバムのものであるが、サブスクでも聴ける。アルバムには先程言及したMiles Davisのロングバージョンが聴ける。
 楽曲を聴いたりMVを観て分かるのは、曲の長さもさることながら、売れ筋を狙っていないことは明らかだ。だから商業的な面に関しては、Steve Van Zandtは織り込み済みだった。そういう精神に私は惹かれるのである。
 さらにMiles Davisのファンからすると、彼がこういうプロジェクトに賛同し演奏した事自体も驚きだったようだ。Steve Van Zandtの想いは黒人アーティストのほうが賛同しやすかったのかもしれないが、Miles Davis以外にもRon Caterなどのジャズ・ミュージシャンや、ラッパーのRun-D.M.C.が参加するなど、極めてジャンル横断的な顔ぶれになっている。このことからも、このプロジェクトは白人による上から目線のチャリティとは一線を画していたと言えるかもしれない。

 本題とは関係ないのだが、Steve Van Zandtのエピソードとしてとても印象に残っているのが、ディズニーランド入場拒否事件である。

 残念ながら日本語の記事がなかったのだが、当時は雑誌の記事で読んだように記憶している。仲間たちとロックな服装でディズニーランドに入場しようとしたところ、ドレスコードを理由に入場を拒否され、曖昧かつ不公正なディズニーのドレスコードに対して異議申し立てをしたということである。
 長いものには巻かれない。古典的かもしれないがそういう姿勢が一貫しているのがいいと思う。
 Steve Van Zandtの日本での評価はいまいちだが、E Street BandのメンバーとしてBruce Springsteenと共に、「ロックンロールの殿堂」入りを果たしている。

アパルトヘイトはなくなったが…

 南アフリカにおける人種隔離政策は、既に過去のものになっている。しかし、南アフリカ国内での人種間格差はなくなっていない。南アフリカに限らず、世界中で格差は拡大し、民族間対立なども相変わらずである。
 冒頭に與那覇潤さんの記事のリンクしたが、與那覇さんのnoteを常にチェックしているのはキャンセル・カルチャーに対する関心も重要な要素である。
 この記事を書こうとしたときに頭の中にあったことは、自分が好きで聴いていた音楽や、そうやって音楽を聴いていること自体を、父親に否定され続けてきたことだ。音楽だけではなく、色んな面で否定されることばかりで、特に大学を卒業するまでが一番激しく、卒業して就職してからも、盆正月の里帰りなどは父親と顔を合わせなくてはならないことが苦痛で仕方なかった。その父親も3年前に亡くなり、実家の建物も壊して借地を返したので、何も残っていない。
 それはともかく、父親との関係の中で、ずっと考えていたのは、音楽に対する検閲である。

 このPMRCのWikipediaに書かれているリストは私の好きがアーティストの楽曲がとても多い。今の若い人たちには想像もつかないことだろうが、私より少し年上の世代にとっては、Beatlesを聴くことは不良のすることという扱いになっていた。まあ、不良という言葉自体が既に死語になっているのだが、ロックンロール全般に「まともな」人間が聴くものではない、というか、その手の人達からすると「聴くに耐えない」あるいは「聴くだに不愉快」ということになろう。
 そういう自分にとって不愉快なものは、徹底的に攻撃して排除しようとするのがいわゆるキャンセル・カルチャーである。
 アメリカでは単なるキャンセルに留まらず、訴訟を起こされる例もよくある。

 コウモリ噛みちぎり事件などでも有名なOzzy Osbourneは、急性アルコール中毒で亡くなったAC/DCのヴォーカリスト、Bon Scottのことを思い、「酒ばっかり飲んでるとゆっくりと自殺に向かってくようなものだ」という、まあ、お前が言うか的な内容の曲を書いている。それを聴いたせいで息子が自殺したので責任取れというような無茶苦茶な裁判が実際にあったのである。 (上記Wikipedia参照)
 ちなみに誤解のないように書いておくが、Ozzy Osbourneにコウモリが噛みついたのではない。Ozzy Osbourneがコウモリに噛みついたのである。(上記Wikipedia参照)
 排除しようとすること自体が、極めて危険な思想ではないか?
 しかし、いわゆるリベラルを標榜する人たちにとってはそうではないらしい。リベラルという響きがよい看板を立てていても、所詮は左翼だから当然かもしれないが。

 黒人と同じ空間で食事したくないから分離した
 ということと
 不愉快な音楽や映像を観たくないから排除した
 ということに、どれだけ違いがあるのだろうか…

 もちろん、例えば暴力を推奨するような表現は個人的にはどうかと思うし、そういう作品は個人的には好きになれない。しかし、だからといってそれが排除されればいいとは一切思わない。
 だから、與那覇さんの文章がとても強く心に響くのである。



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