パパゲーノ 生きたい理由をさがす
パパゲーノという言葉がある。
NHKのサイトで紹介されていた。
自殺対策の一環であり、日本各地で死を願いながらも生きることを選んでいる人たちの言葉が記されている。
私も日々、死にたいと思いながら、生きることを選択している。日によって生きたくない気持ちは膨らんだり、落ち着いたりする。
このサイト読むと生き苦しさを感じているのは、自分だけではないと知る。少しホッとする。
自分はまさにパパゲーノではないかと思う。
体験談を読んで、死を願う気持ちを分析するより、生きてこれた理由をさがすと良いとのことだった。
生きてこれた理由は何か。
自分はなぜ生きてこれたのか。
死ねなかった、というのが正直なところだろう。
その勇気がなかった。
生きたいという気持ちがなくなりきらなかった、というのが実情である。
思えばいろいろなことを経てきた。
家族が借金を苦に離婚したり、学校では人間関係がしんどかったり。10代は生き方や将来がわからず、暗中模索した。
そこには、ギリギリの私に寄り添ってくれた人の存在があった。だから、人生をあきらめきらずに済んだのかもしれない。
思えば未来は全く未知なものである。
想像も出来なかった出逢いを経てきた。
若者たちに生かされた記憶。
インドの異文化に圧倒された時。
(バラナシ、ガンジス川の火葬風景は忘がたい。)
これらは自分が予想し得たことではなかった。
ある意味では与えられた恩恵であった。
辛いこともあった。
だけど、良いことも織り交ぜられてきた。
未来に対する信頼を持つこと。
人生が待っていることを信じること。
それらを自らに刻むこと。
現実は苦い盃かもしれない。
それを飲み干すところからしか、はじまらない。
過去の自分から力を分けてもらおう。
なんにせよ、生き延びてきたのだから。
死を願う気持ちと付き合いながら、今日を噛み味わっていこう。