あなたのお給料はどこから出ているのか
ベンチャー起業は毎日がギリギリの戦いだ。
毎年決算書が完成すると「今年も走り抜いた」という感覚になるが、設立5期目にあたる2021年度は、過去のそれとは違う感覚であった。
売上規模が伸び、利益が増えるにあたり、支払う税金が増え、「こんなにも税金って高いのか」という気持ちを抱く反面、「いつも平和に暮らせているのは国のために働く皆さんのおかげです。いつもありがとう」という気持ちになる。
高い税金を払ってるなんて口が裂けても言えない。今の僕には、この国を統治するほどの力はないし、むしろ戦争が無くて食べ物が美味しいこの国に感謝が耐えない。
話を戻そう。
ベンチャー起業は毎日がギリギリの戦いだ。
ヒト・モノ・カネ・情報に至るすべてのリソースが不足する中で、考えて考えて考え抜いて、行動して行動して行動しまくって、失敗して失敗して、失敗しまくって、少しだけうまくいってその結果前進出来る。
周りからしたらその前進は少しに見えるかもしれないが、激動の日々の中で1人の人間として学べるものは計り知れない。人間力をつけるには、企業経営が1番最適な手段かもしれないと思うほどだ。
資本主義社会を生き抜く上で、日々働く僕たちにとってなかなか切っても切り離せないのが「お給料」だ。いっぱい働いたら、その分もらえる。結果の分だけもらえる。日々追っている責任に対して受け取る。
「お給料」の考え方は、アルバイト・パート・正社員・経営者、担う役職に取って変わるのでは無いだろうか。
「あぁ、今月も給与が貰えた。」と毎月なる人は中々少ないと思うが、なぜ給与を受け取ることが出来るかを真剣に考えたことがあるだろうか。
僕たちは、誰かの・何かの役に立つことによって、「お給料」を受け取ることができる。
逆に考えれば、誰かの・何かの役に立たずして「お給料」は受け取るべきでないということだ。
自分の価値を発揮する⇨誰かの何かの役に立つ⇨対価(給与・やりがい)を得るというプロセスだ。
その価値を発揮するにあたり、希少性が無く、同じ給与をもらってでもやりたいという人が多ければ多いほど、それだけ受け取れる対価(この場合は給与)が少なくなる。
当然の事だ。やりたい人がたくさんいる仕事をやって、その人たちと同じぐらいのパフォーマンスで、同じぐらいの対価を受け取る。
無論、この対価はエンドユーザー・クライアントから出ているわけだ。つまり、介在価値無くして給与を受け取る資格はないという事だ。
もしこのような概念を無視して「給与が低い」などと言うならば、今すぐその発言をやめるべきだ。
その発言は、個人としての信用を大きく下げることになる。感情的な愚痴などは百害あって一利なしの典型と言えるだろう。
わかったら、さっさと目の前の事に取り組んで、自分にしか出来ない付加価値を身につけるために、圧倒的な結果を出すために、努力をしよう。
最後に、「努力の方向性」については間違えると危険なので、ここについてはまた後日描いていきたいと思う。