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ウンブリアの影の土 No.2

―「ウンブリア」ではなく「影」の土 ―

○「アンバー」は暗いもの、殊に「影」を描くのに最適な絵具です。カラヴァッジョやレンブラント、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールたちのように、「キアロスクーロ(chiaroscuro)」つまりは劇的な明暗法を使った絵画を描く場合、黒以外にアンバーをパレットに加えれば、影の表現に幅を持たせることができます。

 『ウンブリアの影の土 No.1』でも触れましたが、レンブラントの作品からアンバーが検出されています。

 彼の持つパレットにもアンバーが乗っていたのです。

Rembrandt Harmenszoon van Rijn
"Zelfportret met twee cirkels" 1665-1669,
Kenwood House, London.

○「ローアンバー」一つとっても、二酸化マンガンの含有量によって、例えばそれが多くなれば黒味が増したりと、色味の豊かさがあります。

 個人的には、フランス「ルフラン・ブルジョワ(Lefranc Bourgeois)」の「テール ドンブル ナチュレル トランスパラント (Terre d'ombre naturelle transparente)」を黒味の強いアンバーとして使っています。
 「ルフラン・ブルジョワ」のサイトの「カラーパレット(LA PALETTE DE COULEURS)」には、なぜかアンバーはなく、ページのはじめにリンクのあるPDFデータのカタログ"GUIDE HUILE"にはバッチリ記載があります。

 フランス語の「テール ドンブル(Terre d'ombre)」において、英語の「アンバー(umber)」つまり「ウンブリア」に相当するのは「オンブル(ombre)」のはずです。しかし、この「オンブル(ombre)」フランス語では「影」と言う意味で、つまり「アンバー」はフランスでは「影の土」なのです。

 ちなみにウンブリアのフランス語読みは「オンブ[リ](Ombrie)」であり、もし「ウンブリアの土」と言うのであれば「テール ドンブリ(terre d’ombrie)」もしくは「テール ロンブリエーヌ(terre ombrienne)」となるはずです。

○少しヨーロッパの他の言語を見てみます。

○ドイツ語でアンバーにあたる単語は「ウンブラ(Umbra)」で、色名の他に天文学用語てして「太陽の黒点の中心部」の意味でも使われます。

○スペイン語では「ティエラ ソンブラ(tierra sombra)」。「ソンブラ(sombra)」は「影」を意味します。

 フランス語の「オンブル(ombre)」、ドイツ語の「ウンブラ(Umbra)」、スペイン語の「ソンブラ(sombra)」。実はこれらは「影」を意味するラテン語「ウンブラ(umbra)」からできた言葉たちなのです。
 余談ですが、英語で「傘」を意味する"umbrella"の語源もこの「ウンブラ(umbra)」。これに指小辞の"-ella"がついて「小さな影」というニュアンスからできた言葉だそうです。

umbra+ -ella→ umbrella

○そして本家イタリア語では「テッラ ドンブラ(Terra d'ombra)」。やはり「影の土」と呼んでいます。「ウンブリアの土」として「テッラ ドゥンブリア(terra d’Umbria)」という呼称も散見しますが、フィレンツェの老舗画材店「ゼッキ(Zecchi)」やミラノにある絵具メーカー「マイメリ(Maimeri)」は「テッラ ドンブラ(Terra d'ombra)」を採用しており、「影の土」という呼称の方がメジャーなようです。

○古典としてジョルジョ・ヴァザーリの『芸術家列伝(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori)』にご意見を求めてみますと、「総序」の「25章(CAPITOLO XXV)」においてヴァザーリは「テッラ ドンブラ(Terra d'ombra)」つまりは「影の土」を使っているのです。

 はたしてヴァザーリが、この"Terra d'ombra"を二酸化マンガンを含む土性顔料 ― いわゆる「アンバー」― を示すために使ったのかは判然としませんが、少なからず歴史ある言葉であることは確かなことです。

○実は、よくよく調べてみますと、どうも英語における「アンバー」の語源は、「ウンブリア(Umbria)起源説」と「影(umbra)起源説」の間で揺れがあり、定まらないようです。
 先ず、大修館書店の『ジーニアス英和大辞典』を紐解いて"umber"の箇所を見てみると、用例の一つに、

3 «廃» 陰影, 影.

とあるのです。つまり英語の"umber"も「影」という意味を含んでいた時期があったのです。

 さらに2011年発行の"Concise Oxford English Dictionary, 12th ed."で"umber"を調べてみると、語源の欄に、

ORIGIN C16: from Fr.(terre d')ombre or Ital.(terra di)
ombra, lit. '(earth of) shadow', from L. umbra 'shadow'.

とだけあり「ウンブリア」については言及せず、むしろ「影(umbra)起源説」に振り切っているのです。
 もしかすると今後一律に、「アンバー」は「影の土」という意味です、と説明される日が来るかもしれません。「ウンブリア起源説」がなくなってしまうとすると、それはそれで寂しいものです。
 それにしても「ウンブリア(Umbria)」とラテン語の「影(umbra)」は似すぎです。

○顔料にはそれぞれ”Colour Index Generic Name”という記号がふられ、「ローアンバー」には「PBr7」が割り当てられています。とは言え自然物のため、同じ記号であってもメーカーごとに、ややもすれば同じメーカーでも仕入れた顔料の採掘状況によって、色味が違ったりもします。

 そのため色味を安定させるために、他の色の顔料を混ぜた絵具もありますが、私は自然物としてその都度の出会いを楽しみたいので、実はラベルを確認して「PBr7」のみのものを選んで買っていたりします。

 地味な色ではありますが、この「影の土」をパレットに加えてみてはいかがでしょうか。

内野
燕画塾 講師
○トップ写真:Rembrandt Harmenszoon van Rijn
 "De schilder in zijn atelier" 1626-1628,
 Museum of Fine Arts, Boston.
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