人生が一度しかないことに抗ってみる。
小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。
なんの授業だったか忘れてしまったけれど、大学の講義中に北村薫さんの上記の文章が引用された。
講義室の風景もなにもかも記憶のなかで風化しても、この言葉だけは頭の片隅にしっかりと残って、ふとした瞬間に思いだす。
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子供の頃から、物語が好きだった。
両手におさまる小さな本のなかで、主人公が動き、感じ、呼応するように周りの風景も動きだす。
わたしの短い人生では知ることのできない感情を、見ることのできない風景を、物語は言葉で紡いで目の前に差しだしてくれた。
わたしの心のなかには、大切な城のような物語がいくつもあって、それを眺めてうっとりしたり、潜りこんで休息をとったりして、なんとか今まで生き延びてきた。
◇◇◇
ちょうど2年前に、ふとしたきっかけで小説を書きはじめた。
「わたしには小説を書く才能も、資格もない」と自分に言い聞かせてきたのに、ある日、書きたい気持ちに蓋ができなくなってしまった。
できあがったのは、なんとも歪な城。
それまで読んできた物語とは比較にもならない、砂場で手作りされたような小さな城。
それでも、これまた小さな文学賞をもらって、わたしは書くことを許されたような気持ちになった。
砂のお城が風で飛ばされないよう必死に守るように、今もほそぼそと書くことを続けている。
誰に認められなくたっていい(誰かに届くならめちゃくちゃ嬉しいけど)。
わたしはこの小さな砂場でずっとずっと、お城を作っていたい。
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小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。
わたしはできれば、一生抗っていたい。
自分の知ることのできなかった世界に、出会えなかった人に、理解できなかった感情に、すこしでも近づきたい。
そのために小さな砂場の中で、うまくできた、こうじゃない、次回こそ、と歪な城を何度も何度も、作り続けるのだと思う。
お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!