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近頃、泥沼。

最近ハマっちゃっている、アレについて。

今年の米アカデミー賞四冠はポンジュノ監督の『パラサイト』が握った。

最近の韓国映画はひと昔前と比べると大きく変貌を遂げており、いつかひっくり返す日が来るだろうな…と思っていたらとうとうその時が来た、といった感じだった。日本には韓国というだけで毛嫌いする方も多いので、最近の韓国映画はマジで半端ない、などとツイートしよう物ならすぐに”在日じゃないのか?”なんて言葉も飛んで来たりしていたが、映画好きな私にとっては面白いものは面白く、制作物に国や肌や瞳の色を持ち込んで話をする方がどうなのか、と言った具合だったので認められたという事は大変に喜ばしい事だな、と思っている。少し言うとすぐにそうした横やりが飛んでくるため、あの国自体好きでも嫌いでもないがこの人たちは何を思って嫌いなのだろう?と疑問が沸いた。嫌いだ!と宣言してもよいのはどっぷり浸かりきった人間だけであり、あまりよくも知らないのに嫌いだ!と言うのは私には向かないな…というのが個人的意見で、そこに興味が沸き始めると止まらなくなってしまい、今まではノワール物ばかりを観ていたのだけれど、ひとたびドラマ枠へ足を突っ込むとやめられなくなってしまった。基本的に恋愛ものは一切観ない派だったのに…。

こうした言い方をすると誤解されかねないが、韓国ドラマへの毛嫌い感は少し前のヨン様世代のおば様方が生み出したに違いない。気持ち悪いもの…。空港まで押しかけて”キャー!ヨン様―!サランヘヨー!”とか言ってるなんて、旦那に相手にされない末期感……とさえ思っていて、一向にドラマへ足が向かなかった。そんな私が大ハマリ!そもそも出発地点は(嫌うなら嫌いだと言えるほどによく知ってから)だったのに。

とにかく脚本がいまだ昭和の少女漫画のようで面白いのである。言い換えると、日本は既にそんな時代は脱却し新時代を歩んでいるのにあんたら時が止まってんのか?という状態なのであるが、それが文化なのだろう。こうも古臭いと逆に新しさを感じてしまう。

最近観て面白かったのが「黄金の私の人生」という作品で、全部で52話もある。52話という事は単純アバウト計算にしても人生の520時間はその作品に捧げねばならず、私はそんなに暇じゃないんだぞ!と言いながら、明けても暮れてもそればかりを見続けていた。あんまりに長い時間(好きで)拘束されていたので言語の違いもゆっくりとわかる迄になってきて、例えば、気にかけている、だとか、可愛がっている親愛の情のような物を相手に持っている時は名前の後ろに「や」のような音が入る、という事に気づいた。昔話でよく聞く
“桃太郎や”…”かぐや姫や”という風に耳に響いてくる。そのくせ、激おこ状態の時にはわが子だろうがなんだろうが絶対にフルネームで呼んだりする。苗字!あんたもやろ!となるのだが、確かにフルネームで呼ばれると学校で何かしでかして教師にお叱りを受ける時のように一瞬でフリーズできる。○○さん、と丁寧に呼ぶ時には、○○氏のように最後に「シ」がつくのだが、では映画で有名な『アジョシ』は”アジョ”と”シ”に分かれ、”おじ””さん”という事なのか?…というように、ハングルも面白いもんだなぁと少しばかり身につけながら過ごした。出てくる食事はだいたい濃いめで辛そうな物も多く、朝からめちゃくちゃに辛そうな蟹のキムチのような物を食べているかと思ったら突然、愛の神が降臨し、その口でキスをするようなドラマもあったりして、あなた方はよくそれでロマンチックな気分になれるのですね…私には無理です…と思ったりもした。私の場合、アレルギーがありニンニクが食べられるようになったのは30を過ぎて出産して体質が変わってから、という事もあったので余計かもしれない。いまだに大量のニンニクを食べる事もニンニク臭も得意ではない。
「ああああああああ!カッコいいのにぃいい!ニンニク臭いなんて!残酷!」
と盛り上がりながら独りギャースカ言っていた。他人の恋愛みて盛り上がるなんてひどい孤独感である。

そして大抵、どのドラマにも必ず出てくる胃がん宣告。なんなのだ。日本の制作物で癌です、と言われるとだいたい相場は乳がん、に対し、胃がんってなんだ…やたら多いな、と思っていたらその通りに胃がん率が高い国なのだそうだ。朝からニンニク食うからじゃねぇの…?と思っていたがどうやら原因は塩気の多い食事にあるらしい。そこに唐辛子を練りこむなんて尋常じゃねぇな!なんのノワールなんだよ…!と思いながら国の違いを知った。ヘリコバクターがピロり過ぎてて震えるじゃねぇの。

それからパラサイトでも描かれていたが、どのドラマでも必ずと言ってよい程、その格差を目の当たりとする。あの国には中産階級など存在しない。貧乏でも裕福でもない、なんていう真ん中の方々がスッポリ抜けているのだ。だいたい困っているか、キャッシュキャノンで部屋に札バラ撒いて遊んでいるかのどちらかだ(言い方!)。人間のタイプに貧乏人か御曹司か、しかいないのである。ドラマとなるとなぜか常に女性の方が貧乏人役なのである。いまだそうであるのか否かは解らぬものの、この辺りはどうやら、男を産め!の男尊女卑的思想が残っている部分も大きいのかもしれない。(某ドラマでは嫁いだ先の親父が息をまいてそのように言っていたぞ!)

たまたま好きになった人が貧困層だった、御曹司だった、という、格差ある恋物語が勃発、嫌でもその格差と生きる世界の違いに愛が挟まれ、阻まれて、愛し合う二人がえぐぇぐ泣く…という構図が出来上がるたびに
「北でもあるまいし!そんな好きなら二人でよそへ出て暮らせばええやんけ!」
等とツッコミを入れつつも、そんなえぐぇぐに引っ張られ、せつねぇー!エモいー!わかりみが深いー!となってしまうのである。私はそんな滑稽な人間だったであろうか?と思いながら、もはや抜け出せなくなっている、この中毒性の圧倒的やばみ率!ポテチ消費スピードが爆速。韓国ドラマは肥える。

数本みて気づいたが、あの国の脚本の面白さはその滑稽さにあるのだ。ベースがシェイクスピアなのである。すぐに、愛か欲か、を天秤にかけてくる。愛か欲かを秤に乗せるな!とシェイクスピアが散々説いてきたにもかかわらず、である。地位や身分にあぐらをかいた欲深い人間が、真の愛を邪魔してきて、愚者とはどういう者を指すか、をドラマにして描かねばならぬ程の事が横行している、という事であろうか。シェイクスピア自身が見ていたら、お前ら、わいの書いた何を読んできてん!とタイキック決め込んでくる勢いである。

このような話を韓国ドラマ好きの友達と話していたら、その友達は
『加え、必ず出てくる、出生の秘密あるある』
と笑っていた。出生の秘密ありがち~♪とあるあるソングで歌われても頷いてしまうほど、だいたい出生の秘密を抱えている。役所は機能していないのであろうか?不思議でならない。不思議でならないが、あの国は良くも悪くも子をひどく可愛がるという部分にありそうな気もする。虐待するような話はノワール以外滅多にみられず、捨て子であっても拾ってきて大切に育てている。日本では絶対にみられない光景である。そもそも捨て子がいる、という時点で大切にしない人間もいるのだろうな、という矛盾もあったりするが、そこはまぁ貧困に押されるとそうならざるを得ず不本意で、や、誰か裕福な方がこの子を拾って育てて下さるだろうというわが子に対する願いのような物もあるかもしれない、と思い眺めているが、可愛がり方が尋常ではないので結構な甘えたさんを産出してしまいかねない。だいたいにおいて試練に弱い、というのも目につく部分である。どこの国でも、親がいい加減だと子の方がしっかりするものだし、親がやたらと道を作ってやりすぎるといざ試練!の時に弱く映ってしまうものである。親、こどもを庇い過ぎ感あるある。

文化面からみると、まだそんな事をやっているのか…なのだが、やはり脚本はシェイクスピア劇のようなものがどの時代になっても面白く、シェイクスピア好きにはたまんねぇな…とグフグフほくそ笑みつつ、夜な夜ながっつり観ております。もしドラマを通じて”このような事はよくないのですよ”と訴える機会を設けているのだとしたら、本当に、それは、結構、愚か。人間が悩むのは、金銭面か対人か、大きくわけてこの二つしかないのだけれど、その対極にあるものを秤にだとぉ!?となるところは大変に面白く、それから驚くくらいに美しい男性や女性がわんさか出ていて、この国には目も当てられない!なんていう人種は存在しないのか?と思ったら、なんとその身なりや美こそが貧困を隠す要素でもあるらしく、ぼっさぼさな頭をして化粧もせずにダラダラとした格好で過ごすだなんてそんな奴は大学にも合格できないし、仕事もないぞ!お里が知れちゃうぞ?みたいな事らしく、いまだ学歴社会なんだなぁ…と感じさせるので、日本でもやたらめったら学歴、学歴、という人はこうした感覚にあるんだろうな、と思って観ております。なんていうか…心が貧しめ、というの?学はあっても教養はなく品格に乏しい、と言えばいいの?誰のための人生なのかを考えるとそこまで困窮していない国であれば、自由に、子の思うようにその道を信じて生かしてもバチは当たるまい…というような。あんなにも、こうあるべきだ!なんて育ててしまうと反発する場所が社会になってしまって犯罪率の助長になりそうな予感。あれ程に生活が追いやられる場合には仕方がないとはいえ…。

ご飯も時にアッサリしていておいしそう、笑顔も最高に素敵、色々胸きゅん、最高♡と思った上で言うけど、根本的な思想の部分ですれ違うだろうから絶対ハマらないな…とは思った…。
※よく眺めてよく知った上での判断は差別ではない。

完全に自由の中に自由は生まれないとしても、だ。色々と縛るものが多すぎる。それはとても窮屈そうで、私には向かない。どれだけタイプでもどれだけ好きでもその先を望まないから恋が発展しないとみた!!結果的に落ちないから相手にされない!
恋は生活を彩る一要素でないといけないのに、もはや生活そのものにしてしまうような自由のきかなさ、私には無理!イケメンが手に入らない私、可哀想…ぴえん。

…と言いながら、また新しい作品を観てしまうのだろうな。やれやれだよ、全く。暇なのか私は。人間関係はやたらと回収率の凄まじさを見せるくせに状況においては投げっぱなしジャーマンな回収率のなさで破滅する、なんていう話も多くて、どうでもいいんかよ、と笑ってしまうような面も多々ありつつ、そんなアッサリした終わりいいのか?その割に執念深さ半端ねぇな…がやめられません。

結論 韓国ドラマはくそ面白い。ハマると深み。

以上です、編集長(誰)♡

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