「日本に住むみんな」を語ります
わたしたちが「みんな」を語る究極の目的は、「みんなのおいしいごはん」の実現です。今日は、「”みんな”とはだれ?」を考えます。
まずは、自分をカンジョウに入れよう
まずは、わたしとあなたで「おいしいごはん、1人前よろしく!」と手を挙げましょうか。宮澤賢治さんの『雨ニモ負ケズ』精神はとても美しいですが、みんなが「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」(※1)いたら、この社会は立ち行かなくなってしまいます。
老若男女障害の有無を問わず、だれもが「1人前よろしく!」と手を挙げることが、「ソーシャル・インクルージョン(※2)」のはじめの一歩です。
半径5mから想像力を世界に広げよう
つぎは、「身近ではたらく人のおいしいごはん」を考えてみましょうか。極端な低価格や製造・流通過程が不透明な商品やサービスは、すこし警戒した方がいいかも。「お客様は神様です」というよりは、「お客様も従業員もお取引先も神様です」がこれからの時代のスタンダードになるでしょう。自分が取引先にされていやなことは、自分がお客様になったときにもしない。それだけで、ギスギスした空気は変わるような気がしませんか。
日本から遠く離れた開発途上国ではたらく人を思いやる「フェアトレード商品」「エシカル消費」まで視野に入ったところで、わたしたちが考えるべきことは、究極的には「世界中のみんなの持続的なおいしいごはん」であることに気がつきます。
このnoteでは「日本に住むみんな」を中心に語ります
さて、2020年代のいま、「先進国」と「開発途上国」の区別が意味のないものになっていることはご存じでしょうか。世界の所得水準は、4つの階層で考えることが有用かつ一般的になってきています(ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』)。
日本は、1日32ドル(約3400円)以上の所得があるレベル4の国とされていますが、日本の中の「月4000円の給食費が払えない相対的貧困のくらし」は、レベル3の国の「ふつうのくらし」とどちらがつらいでしょうか。相対的貧困とまではいかなくても、「病気や老後の生活が不安」「自分と同じ生活水準を子どもに用意できないのではないかと不安」など、レベル4の国ならではのつらさを、わたしたちは十分すぎるほど感じているのではないでしょうか。これからの時代は、足元の相対的貧困問題を直視しつつ、「世界中のみんなの持続的なおいしいごはん」を考える人の数でゆたかさを競う世界であってほしい。
そこで、このnoteでは「世界中のみんなの持続的なおいしいごはん」を念頭に「日本に住むみんな」に焦点を当てることとします。
外国人を含みます
大切なことなので、はじめに言っておきましょう。
「日本に住むみんな」には、「日本国籍を持たない在留外国人」を含みます。国際情勢上、外国人参政権の実現は難しいかもしれませんが、わたしたちは「同じコミュニティのメンバー」のおいしいごはんを考えなければなりません。すなわち、アイデンティティの違いによるヘイトスピーチがあふれる社会を許してはなりませんし、技能実習制度(※3)など、安上がりな労働力を軽々しく求める行為は慎まなければなりません。社会に「半人前のごはんでも黙ってはたらく人」がいるかぎり、「わたしたちのおいしいごはん」は遠のくのですから。
さて、みなさん手を挙げながら、モヤモヤしてるのではないでしょうか。
----わたしは仕事がんばってるのに1人前じゃ足りないよ!
----わたしは子育てしたいから、当分半人前のごはんでいいんだけどな。
どうかその手を挙げたまま、次回「これからのしごとの話をしよう」をお待ちください。
※1:わたしのようなへそ曲がりには、「庶民は黙っていてくれたまえ」というお上のメッセージに聞こえるときがあります。
※2:共生社会、包括社会。2000(平成12)年12月8日厚生省(現・厚生労働省)の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」報告書において、「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」ことをソーシャル・インクルージョンとしています。
※3:https://ja.wikipedia.org/wiki/技能実習制度#実習実施者による問題