日本絵画歳時記 初夏(1)
こんにちは。椿です。
立夏も過ぎてさわやかな初夏となりました。暑くもなく、寒くもない、過ごしやすくいい季節です。そこで今回からは「初夏」の様々な風物について、絵画でどう表されてきたかみていきたいと思います。
江戸時代中期の俳人、山口素堂による、大変有名な句です。基本的には名詞を三つ並べただけの、シンプルでひねりのない句ですが、かえってストレートにイメージがわいてきます。「青葉」「ほととぎす」「初鰹」と、いずれも初夏の風物で、それぞれに視覚、聴覚、味覚を象徴したものになっています。まずはこの句を元に、初夏のイメージ史をたどってみましょう。
最初に「青葉」ですが、辞書を引くと
となっています。季節の風物という点では(2)の意味になるでしょう。素堂の句も、ふと目にした新緑のまぶしさをうたったものと思われます。
元禄2年(1689)3月27日に江戸深川を発ち、日光街道を下り奥州へと向かった松尾芭蕉は、4月1日に日光山へ参詣します。日光の名のいわれを記した芭蕉は、弘法大師空海、さらには日光東照宮に祀られた東照大権現こと徳川家康への畏敬の念を句に込めます。
この年の4月1日は太陽暦に直すと5月19日にあたるそうです。まさに新緑の若葉が美しい季節ということになります。山道を上っていく中、その目に映る青葉のまぶしさは、芭蕉の目にも印象的だったということでしょう。
これは江戸時代中期の俳人にして絵師、与謝蕪村の「新緑杜鵑図」です。芽吹き始めたとおぼしき広葉樹の木々を中心に、下方には竹林に覆われた渓流を、上方には遠くへと連なる山並みが描かれます。中程にはホトトギスが飛んでいるのも見えます。淡く彩られた緑がまさしく新緑を表し、さわやかな風が吹いてくるような錯覚を覚えます。
文人画は中国に由来するジャンルで、政治家や官僚といった文人(武人に対する言葉)が、趣味で描いた絵を指します。つまり、本来は素人の余技だったのですが、日本に伝わってからは、むしろその自由な作風様式が注目され、職業画家も手がけるようになりました。蕪村は池大雅と並び、日本の文人画を大成した人物です。俳人として有名だったこともあり、雅趣に富んだ作品を多く残しています。
本図は絹に描かれており、その質感を活かすかのように筆致は柔らかく、所々で地を残して靄を表し、色使いも控えめで淡く、全体的に穏やかな画面となっています。すがすがしい初夏の雰囲気を伝える佳作と言えるでしょう。
さて次はホトトギス(杜鵑、時鳥)についてみていきましょう。「新緑杜鵑図」のもう一つの主題でもあります。いまではあまりピンとこないかもしれませんが、ホトトギスは古来、夏の風物の代表格と見なされてきました。
百人一首でも知られる、後徳大寺左大臣こと徳大寺実定の歌です。この歌に代表されるように、ホトトギスはその鳴き声が注目され、愛でられてきた鳥です。「てっぺんかけたか」などと表されることもありますが、「キョキョキョキョキョッ」とリズミカルに高低をつけて鳴く声は大変特徴的です。実定の歌に「有明の月」とあるように、夜から早朝にかけて鳴くこともあります。
日本野鳥の会がYouTubeにあげている鳴き声です。気になる方は聞いてみて下さい(音量注意)。
これはさきほどの「新緑杜鵑図」のアップです。翼を広げ、やや下方に向かって飛ぶホトトギスの姿が描かれています。全長は30cmに足りないくらい、ハトよりは小さいとされますが、絵に描かれる時は、このように翼をいっぱいに広げ、斜め向きに姿を捉えられることが多くなっています。
こちらは三代豊国こと歌川国貞による「卯月時鳥図」三幅対です。魚をさばく女性を中心とした室内の景で、どこにホトトギス?と思いますが、左端、格子窓の向こうにその姿が見えます。
やや無理矢理に収めた感じではありますが、蕪村の絵同様、翼を広げて斜めに飛ぶ姿が表されています。
私自身、季節になればホトトギスの鳴く声をよく耳にしますが、飛ぶ姿を見た記憶はありません。あらためて調べてみると、ホトトギスは羽ばたきと滑空を繰り返して直線的に飛ぶのが特徴のようです。してみると、おそらくこれらの絵に描かれた姿は、直線的に滑空している瞬間をとらえたものと推測されます。いつか飛ぶ姿を確認してみたいものです。
さて、最後に取り上げるのは「初鰹」です。先程は触れませんでしたが、実は国貞の浮世絵で、真ん中の女性がさばいているのがまさにカツオです。
カツオ自体は古くから食べられていましたが、その初物、いわゆる初鰹を珍重するようになったのは江戸時代になってからと言われています。「初鰹は女房を質に入れてでも食え」という、なんとも乱暴な江戸の慣用句があります。それくらい、江戸っ子は初鰹を好んだ訳です。
これは江戸時代前期に活躍した絵師の英一蝶と、その友人で俳人の榎本其角が交わした句です。一蝶は遊郭で派手に客を遊ばせる幇間(ほうかん:太鼓持)としても有名でしたが、元禄11年(1698)、47歳の時、流言飛語を発したという罪で三宅島に島流しになってしまいました。
その三宅島から其角に送ったのがはじめの句で、島暮らしで鰹は捕れても辛子を手に入れることのできない境遇を、まさしく涙ながらにうたっています。それに対して、江戸に住む其角は当然辛子をきかせることはできますが、ききすぎてやはり涙したという、大変機知的な返しになっています。お互いの心情を考えるに、ほほえましくもどこか切ないやりとりです。
余談ながら、現代では生姜やニンニクを薬味にすることが多いように思いますが、江戸時代は辛子を付けていたのですね。今度試してみようかと思います。
さて、話を絵に戻しましょう。国貞は同じような構成の浮世絵をもう一つ描いています。
こちらでは、いかにも気っぷのよさそうな魚売りの男性が、長屋の軒先に腰を下ろし、その場で鰹をさばいています。近所の奥さん方が銘々に皿を持ち、集まっている姿が見えます。食べる分だけ切り売りしてもらうのでしょう。先ほどの絵と同工異曲という感じですが、こちらの方が人数が増えたこともあり、賑やかな雰囲気となっています。
どちらの作品にも卯月とあるように、旧暦4月、いまならばほぼ5月にあたる光景となっています。初物かどうかはともかく、初夏の風物として、その時期の味覚の代表として、鰹が主題となっていたことが分かります。
5月も下旬にさしかかり、新緑がまぶしいばかりです。先日ホトトギスの初鳴きを耳にしましたが、初鰹はまだ口にしていません。楽しみにその機会を待ちたいと思います。
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