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椿町ロンリープラネットと自分の人生を重ね合わせる

やまもり三香先生の「椿町ロンリープラネット」を読みました。
2巻までネットで読んで、絵もストーリーも素敵すぎて、もうこれは!と思い全14巻購入。こういうの久しぶりです。
読まれたことのある方、登場人物の木曳野暁が大好きな方も多いのではないでしょうか。

主人公のふみが女子高生で、暁は28歳の小説家。二人や周りの人間関係、成長など紆余曲折のストーリー。出てくるキャラクターがみんな魅力的でこれまた素晴らしい。
夫が暁に似ている(と個人的には思っている)のと、自分の人生と少し重なるところがあって、読み終えた後になんとも言えない気持ちになっています。

それはたぶん「夫とこんなふうになってみたかったな」という気持ち。

今の生活は幸せ。
だけど、こうなるまでに色々あった。
私達、もしあのままずっと一緒にいたら、って話していた事が、椿町のストーリーと重なったんだと思う。

夫との出会いは、私が高校生の時だった。
初めて会ったとき「狼みたいな眼をしてる」と思ったのを覚えている。
当時、夫は私の家の近くのお店で働いていて、朝の通学途中にバイクで通勤する夫とすれ違うことが嬉しかった。
半年ほど片思いして、ある日私から想いを告げた。
お互いの時間が合わない中、深夜に電話したり何度かデートして、恋人になれた。
その頃は、お互いに心が通じ合っている感覚があって、本当に好きな人を見つけたという気持ちがあった。
少なくとも私はそう思っていたし、夫もそう思っていると感じられていた。
でも、私がまだ高校生だったことや、色々な理由があって結局別れた。
あきらめたということは、所詮その程度で(なので、椿町の二人のようになれなかったのは当たり前なのだが)、だけど当時の問題は私達にはなすすべがないように思われていた。
その後は、お互い大切な思い出として、胸にしまっていた。

夫と再会してから、あの時別れないで結婚してたら良かったね、と何度も話した。
お互い未熟で(今もだが)、自分勝手で、うまくやっていけるのか不安なまま結婚した。
昔、気持ちが通じ合っていたことだけが、たよりだった。

椿町の中には名言、名シーンがたくさん出てくるけれど、中でも
「全く違う二人なのに、すとんと通じ合う」
「私はこの感覚を知っている」
というところ。

私達夫婦もこれと同じだ、と私は信じている。

夫と散々揉め、喧嘩し、挙句、別れた方がいいのではと考える事があっても、結局「私はこの人と一緒にいるために生まれてきたんど」という(謎の)確固たる自信がある。

どうしてそう思えるのか。
夫は私と真逆で、破天荒、人と違うことをする、他人の言うことは気にしない、物怖じしない。
夫は私にないもの、私が魅力に感じているものばかり持っている。
たぶん、私は夫にずっと憧れている。
だから、一緒にいたいのだろう。
8年一緒に暮らしてもずっと憧れのままなので、これからもずっと憧れ続けるのだと思う。(不思議とこれにも疑いがない。)

人生、良いこと、良くないこと、嬉しいこと、苦しいこと、悲しいこと、傷つけたり、傷つけられたり、見失ったり、見つけたり、完璧ではないけど、最善で、あの頃だから、今だから思うことがある。

色んなことが思い浮かんで、胸がいっぱいになる。
人生二度目はない。だから間違えても、すべての出来事、出会いが美しくて、尊くて、生まれてきたことに感謝する。今はそう思える。

話が飛躍しましたが、物語ってすごいな。胸の奥に染み入ってきて、私と融合して、どこまでも広がっていける。

やまもり先生、素敵な物語をありがとうございます。

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