Chapter9の『気候変動』
外出&お散歩すると、藤がきれいである。
たしか長男がお腹にいた頃、16年前くらいに江戸東京たてもの園に遊びに行った時はちょうどGWで、その頃に満開の藤棚が綺麗だった。
卒業式にちょうどよかった桜もそうだったけれど、久しぶりに会う人会う人それぞれ小1時間もお話ししていれば、この話題が出ることが多い。
冬木糸一さんの『SF超入門』にも、地球温暖化の深刻さについて警告する作品が紹介されていた。
これはChapter9の、そのまんま『気候変動』というタイトルで、例によってまだ私自身が読んでいないのだが、3番目に紹介されている『2084年報告書地球温暖化の口述記録』が気になっている。
著者はジェームズ・ローレンス・パウエルという現役の地質学者で、温暖化の脅威を当事者が語る架空インタビュー集だという。
1970年代後半生まれの私は、小学校低学年の時から気候変動について警告されて続けている。目の前の空気だって「気候」であり、身近な課題のはずなのに、もはや遠いところで起きている問題のように思える。
スェーデンのトゥンベリさんの課題提起に共感しつつ、ペンギンやシロクマの危機的な状況を伝える絵本を子どもたちに読んでやりながらも、ブームの波はどこか静かな昨今である。下記のようなちゃん社長のnoteを読んで、確かに。東南アジアの人にとっては、カーボンオフセットを謳った先進各国の主張はナンセンスに見えるだけだろう、などとと感じる、そしてここで、思考停止をしている。
https://note.com/malaysiachansan/n/n8ccc1b24339a
そこに、『SF超入門』からの、紹介の形をとった警告である。
紹介文を読み進めるほどに、心臓が固まるような緊張感がギュっと続いていく。これは大変だぞ、という想いが生まれて上擦る。
気温がわずかに変わるだけで、実際の地域の地表がどうなるか。作物の取れ高がどのような変化をしていくのか。淡々と状況と数字が挙げられていく。
恐ろしい。きちんと、この警告を、受け止めなければ。
気づくと述中にはまっている。まるで光源を太陽と間違え、他の空路が見えなくなる暗闇の羽虫のように、『SF超入門』が次々と繰り出す警告から逃れられない。休日を謳歌している私はいそいそと、帰ったばかりの長男に向かって、あるいはリモート出勤を終えたばかりであろう旦那さんの部屋に向かう。
「ちょっと、この本、本当にすごいんだってば!
読んだ方がいい。できるだけ早く。お友達にも(同僚にも)勧めて!」
はい!
ここまですること、ないのにね。
死の5段階すら、しっかり踏ませて。
これを読まれている、ここまで読まれた、心優しいどなたか。
次に開催される冬木さんの読書会に、私も入れてあげて欲しいと、
一言、冬木さんのnoteにコメントしていただけませんか?
めっちゃ、さみしい。