よもつひらさか と、桃
『死都日本』のお話の世界では、極秘に火山対策をする5月21日に臨時火山情報で未曾有の火山を火山噴火予知連絡会が発表したことになっている。
お話の世界の始まりは西暦79年のローマからだから、始まりはずいぶん遠いけれど、今読んでいる現代パートは噴火が始まるのが6月17日なので、こちらは別の世界線の話をみているみたい。
うそでしょ。とすぐに自分の身には起こり得ない、と確信してしまうスケールのお話だけれど、お話の1/10小規模でもたいへんな被害になるのがわかるので、こうやって大袈裟に見える脅威が映画にでもなったら面白いのになぁ、と思う。きっとママ友さんも、映画なら容易に見てくれる。
『すずめの戸締り』では災害の象徴であるミミズが、『死都日本』では一度に同じ場所から数十本でて、誰も戸締れない。できるのはそなえだけで、そのためには人類が戦争をしている場合ではないって、地球のことをもっと知らなくてはいけない、という認識でいっぱいになる。
いつ地震や噴火があるかわからないシュレディンガーの日本に住んでるという事実は、間違いなく日本人の精神にも影響していて。でも悪いことばかりでもなくて。同時にその産物としての温泉だってある。
別に大地に勝手に実験されているなんてことなくて。われわれは、ちゃっかり山を神様にしたりして恩恵に預かり、一緒に暮らしている。
早く地熱発電が日本でも本格的に始まってくれないかな。業務スーパーの会長さんが北海道に技術者を育てる学校までたてて手掛けているというお話に、とても期待している。国にはこういうところにもっとお金を出して欲しい。
お話は変わるけれど、『わすれられないおくりもの』(スーザン.バーレイ著)という教科書にのっているお話がある。私はこのお話が、死んで初めて偲ばれるひとを描いているようで好きではなく、教科書に入れるのは実は、子どもにとって害ではないかと考えたことがあるのだけれど、
こういったお話をもし教科書に入れるのなら、もっと、火山の上に住んでいる私たちにとって死がどういうものなのかを分かるお話の方が良いと思う。
死とは臨むものではなくて、我々にとっては昔からもっと、肌一枚の外側に、いつも共生しているような、命と一体のものだと思う。
同じ死に臨む話に子どもたちの時間を割くのならば、国語の時間にきちんと、日本に根ざした地学知識と生死にむきあう話がふさわしいと思う。
話が飛んでしまったけれど、
『死都日本』は、『日本沈没』の、火山版のように作られていて。
日本に甚大な被害が出た時の外国とのやりとりなどを考えながら、政治が動いているところなど、事象へのカバー範囲も広い。
主人公の生死に釣られながら、火山と日本創生神話への言及など多彩な説への展開も、ふむふむ読んでしまう。
「黄泉比良坂とは、黄泉の境界となる長く連なった崖に通じる坂である」
この本によると、どうやら日本は「崖に通じる坂」が冥界への接続点らしい。『崖の上のポニョ』を思い出してしまった。火山だけではなく、海も、日本を構成する上で欠かせない。我々は海と山のうえ、とても豊かな国に住んでいる。
そうして、死とは何か、平和とは何かを、考えることもできる。
『死都日本』の、四方八方に飛び散る火山からの大きすぎる流出物に、主人公と同じような人間のような存在感を感じながら。私の読んでいる主人公黒木は死なずに頑張り、やっと逃げ延びながら、車のエアコンがききはじめ希望を持ったところ。
今日も続きを読む。