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マスキング・エデュケーション
教育と戦争について、ときどき考える。それぞれについて考えているけれど、いつもどこか繋がっていることに気づく。
コテンラジオの「教育」についての回を聞き返していたら、深井さんがこんなようなことを言っていた。
曰く、教育について調べていたら、人間の生き方について考えることが必要だった。教育について考えることは、これまで放送してきた人類の歴史などを踏まえてからでないと、しっかりとした理解に辿り着くのは難しいだろう。
いま私が「教育」について書きだした時に考え始めたのはやはり、モンテッソーリ教育についてだった。第一次世界大戦と第二次世界大戦を得て、彼女は世界平和を醸成するためには子どもから、と決めるに至った。極めて切実で実際的な人類の根源とはじまりへの観察と洞察から、選択と集中を子どもに注ぐこと。アンネフランク。ベソス、ペイジ、オバマ。
そのほかにも浮かんでくる。
『スタンド・バイ・ミー』のクリス少年が主人公に打ち明けた先生の裏切り。
それに、30年ほど前に日商簿記に最年少で合格した先輩が口にしていた当時の現実、曰く、「大学の教育課を卒業した生徒は企業は採用したがらない。理想ばかりを語り、仕事ができないから」
彼女は当時、高校2年生だった。当時の現実は、いまは変わっているだろうか。
17時には電話が繋がらなくなる学校から、19時ごろに子供の怪我の様子をたずねて連絡してくれる小学校の先生。
こんな時間まで?学校の先生ってたいへんだね。先生にはなりたくない、と自然に話題にのぼった、先生と同年代の同僚たちの会話。
教育が、人間の生き方に関わるとしたら。
人間が人間に教えるとは。
極めて個人的な物語から我々が何かを学ぼうとするには。
『イーロン・マスク』はまだ上巻を1/3程度読んだだけだけれども、以前イーロンのお母さんのメイ・マスクの本は読んだことがあったので、なんとなくおさらいのように家族の話を読む。イーロンのお話は教育の過程ではなく、彼の学びへの姿勢、学びへのあくなき追求が描かれる話だ。
直前に読み終わっていたので、『エデュケーション』のタラ・ウェーバーの物語との共通点に気づく。本の中はどちらも、両親や祖父母の生き方について詳しい。
家族だ。
彼らはまるで、誇張ではなくNetflixのドラマの主人公のような人生を生きているように思える。そこには大きく家族が関係する。
モンテッソーリは教育は環境からと考えている。
家族は生まれ落ちた時から好むと好まざるとにかかわらず晒される環境であり、教育だ。
イスラエルの教育は、とても厳格だと聞いたことがある。
アンネフランクはイスラエル人であったし、モンテッソーリ教育を受けていたと聞いている。
パレスチナの教育環境は、どのような状態であるのだろう。
親子はどのような会話をすることになるだろう。
先週から、4000人も子どもが亡くなったとニュースで耳にして、心が穏やかでない。