三十にして立てない
テレビから箱根駅伝が流れてくると
11年前に亡くなった、母方の祖父を思い出す。
年始のまばゆい光の中、祖父は椅子にゆったりと腰かけ
賑やかなテレビ画面を静観していた。
祖父は比較的もの静かな方だったと記憶しているが
”表現”によって内なる言葉を発していた人だと思う。
まだ元気な頃は、趣味の俳句・俳画を数多く制作し
当時の私は、幼いながらにその創作意欲に圧倒されていた。
床の間に飾られた手描きの掛軸はいつの間にか更新され、
家中に俳句と俳画が描かれた色紙があった。
毎年、年末年始に親戚が集まると
その色紙群の中から好きなものを一枚選び、各々持って帰るのだ。
朧気な記憶だが、作品の中でも私は
蟹の描かれたものが好きだった。
蟹の滑らかなフォルムとつぶらな瞳が可愛らしく
素朴な墨の色になんとも癒された。
幼い頃からなんとなく水墨画に惹かれるのは
祖父の影響もあるのだと思う。
そんな祖父が亡くなってから、娘にあたる母は
祖父が遺した俳句と俳画を集めた本を自費出版した。
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「もしバナゲームしよう」
2022年元日
初詣を終えて、私は実家に帰省していた。
ゲームを提案してきたのは母だった。
「お正月に家族四人が集まるの久しぶりやから」
『もしバナゲーム』とは
"重大な事故や病気に見舞われた時にどうするか”
“人生の最期にどう在りたいか”
そんなもしもの時に備えた話し合いの
きっかけづくりをするために
米国で開発されたカードゲームだそう。
例えば
『事前に葬儀の準備をしておく』
『大切な人にお別れする』
『信頼できる主治医がいる』
『お金の整理をしておく』など
当事者が希望することが書かれたカード35枚と、
カード以外に希望がある時に使うワイルドカードがある。
それらのカードを使って、各々の気持ちを話すのだ。
ゲームのやり方はいろいろあるようだが
『レクリエーション(ヨシダルール)』行った。
ざっくり言うと、カードの交換を繰り返し
最終的に自分にとって優先度の高いカードを三枚選ぶというゲームだ。
父が選んだのは
『良い人生だったと思える』
『家族と一緒に過ごす』
『最期を一人で迎えない』
「さみしがり屋みたいだな」と父は照れくさそうに呟いた。
「良い人生だったと思えて、今みたいに家族と一緒に過ごす。これに尽きるよ」
穏やかで優しい父らしい三枚だと思った。
同時に、父にたくさんの心配をかけて
家を留守がちにしていた自分の行いに対して、後悔の念が押し寄せた。
母が選んだのは
『私の価値観や優先順位を知る意思決定支援者がいる』
『人との温かいつながりがある』
『尊厳が保たれている』
「お父さんと違って自分自分やな~!」と母は笑った。
こんなに賑やかで朗らかな母の最期など、とても想像することができない。
父の選んだ『家族と一緒に過ごす』と
母の選んだ『人とのつながりがある』というのは
一見似ているようで少しニュアンスの違いがある。
人とのつながり、というところが
現在進行形で多方面に顔が広い、母らしい。
「ママはおじいちゃんおばあちゃんが亡くなったとき
どうして欲しかったか分からなくて困ったの?」
ふと祖父母が亡くなった時のことを思い出し、私は尋ねた。
「困ったよ〜」
母は、それだけ答えた。
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祖父の俳句・俳画集を出版した当時
私はとにかく多い作品たちをまとめた、くらいに思っていた。
だが今となれば、母は祖父が生み出した作品たちを
本という手に取って見える形にすることで
祖父の存在した証のようなものを残したかったことが、よく分かる。
それが母にとって、祖父への
追悼の儀式でもあったのかも知れない。
両親の想いが分かったような分からないような、
答えがあるような無いような、
そんなふわふわした気持ちのまま今年のお正月は終わった。
今年一年で何回会えるだろうか。
いくつ言葉を伝えられるだろうか。
もう30年も私は生きているのに
まだまだ分からないことがたくさんあって
まだまだあなた方から
教えて欲しいことが尽きないんだよ、と
心の中で呟いた。
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