まちづくりで孤立するマイノリティを描く | 映画「テレパシーが使えない男」小鷹拓郎監督
文:MARI(雑貨屋 CORAZON)
<小鷹拓郎監督との出会い>
私は三重県津市にある大門商店街でとても小さな雑貨屋「CORAZON」を営んでいる。この商店街は築70年の歴史があり、日中でも薄暗く、じめっとした昭和レトロな雰囲気が漂っている。昼間に開いているお店といえば、うちと真裏に位置するカラオケ喫茶のみで人通りも少ない。
ある日、いつも通りお店に着くと既に一人の男性が。
「お待たせしてすみません!お店開けますね!」と声をかけると男性は「昨日ここで飲んでたんですよ」と言う。うちの店の1Fは友人がシーシャバーを営んでいる。
店の前にはソファーとベンチがあるので昼間は近所のおばあちゃんとか、通りすがりの人たちの休憩スポットにもなっている。いつも「ゆっくり休憩してってくださいね〜」なんつって一声かけたりしているんですが、今日は男性が休憩していた。私は「あれ?この人どこかでみたことあるなぁ。」と思い、少し話しかけてみることに。少し話しているとどうも会ったことはなさそうだし、この近辺の人でもない。
男性は「あっ!僕、津市で映画を撮ることになって」と言うもんだから、「へぇ!!?」となんともマヌケな返事をすると名刺を差し出してくれた。拝見すると「小鷹 拓郎」と書いてある。
、、私はこの名前を知っていた。笑
「え?小鷹さん?私存じてます」と言ったものの、こんなことある?と本当にびっくりして語彙力が飛び「マジスカ」と心の声も漏らしつつ、小鷹さんも「え?」と驚いている。と言うのも、4年前の秋に友人から見せてもらったSTUDIO VOICE「いまアジアから生まれる音楽」で個人的にとても印象に残っていた「チェンマイのガラクタ宇宙」と言う記事を書いていた張本人なのである。
その記事を読んでからSNSで一方的に小鷹さんをフォローしていたので会ったことはないけど、顔をみた時にピンときた。これが私と小鷹さんとの出会いでした。
<映画「テレパシーが使えない男」>
2022年7月、津市久居アルスプラザにて、いよいよ小鷹拓郎展「超能力と不透明な共同体」がスタートした。小鷹さんが津市に二カ月間滞在して完成させた映画「テレパシーが使えない男」が大ホールと上映用アートスペースで上映され、映画の関連展示もギャラリーで同時公開されたのだ。
映画は自衛隊駐屯地と共に発展・衰退した津市を舞台に、ドキュメンタリーとフィクションを掛け合わせて制作された40分超のモキュメンタリー。映画のあらすじは市民全員が超能力「テレパシー」を使える架空の都市で、テレパシーを使った地域活性化プロジェクトを推し進める行政側と、まちでひとりだけテレパシーを使うことができない男にカメラが密着していくものだった。
物語が進んでいくと、市民の日常生活で使われている民間転用された軍事技術の話や、行政のまちづくりに置いてきぼりにされたマイノリティの現状、ジェントリフィケーションなどの問題も浮き彫りになっていく。
作中ではわたしもよく知っている津市発のミクスチャーバンド DADA M REBORNや大門商店街の面々、近しい友人もたくさん出演していた。その他にはなんと本物の津市議会議員や、退役した自衛官の方もそのままの役柄と実名で出演!きわどく刺激的なシーンではモザイクやピー音が多用されている。
わたし個人的にモキュメンタリー作品というのにはじめて触れる機会が本作だった。フィクションなんやけどドキュメンタリー映像のように作られる。これがすごくリアルに感じて、本当にこの街の住人がテレパシーを使えとるんちゃう?と錯覚してくる。この手法に初めて触れて、新しい見方の引き出しがまたひとつ増えたように感じた。
我々受け取り手がどこか切ないような気持ちやったり、やり切れない気持ちになるとしたらそれはきっと日常の中でも感じることがあったり、そんな場面に出くわしたことがあるからかもしれない。
"みんなができることができない"ということについてわたしは今一度考えるキッカケにもなった。
しかし、この作品は世間一般的には賛否両論で、地元のおじいさんおばあさん世代から相当のクレームがあったという。その内容としては「自衛隊を馬鹿にするな」「浅田家を観てもっと勉強しろ」(※「浅田家」とは津市で撮られた有名な商業映画)という声が多かったようで、今の日本政府に対して感謝ができる世代、自衛隊に特別な思いを持つ人々には不快極まる内容となっているのだろう。
社会の中で孤立するような気持ちだったり、疎外感を感じることというのは意外と身近に潜んでいるかもしれない。隣の人がそう感じている・感じたことがあるかもしれやんし、わたしもこれまでに感じたことがあったり、はたまた明日感じるかもしれやんなと。そんなことをこの作品をみた後にわたしは思ったりした。考えるキッカケになる出来事というのは何気ない日常の中の一コマに転がっている。
この作品はそんなマジョリティの中で生きるマイノリティにフォーカスされた部分がかなり色濃く描かれている。そして取り巻く周りの人々、環境、行政。今を生きる全ての人々がこの作品を見て何を感じるか。きっといろんな意見が出てくると思う。それらを共有することできっと見えてくる課題というものがあると思います。誰かは残酷と感じるかもしれない、またある誰かはとても共感する部分があるかもしれない。見た後にいろいろなことがあぶり出されてくる。
本映画の公開直前、安倍元首相が暗殺される事件が起こった。偶然だと思うけど日本を揺るがしたこの大きな事件と本作が重なる部分も。
そして小鷹さんによると、この映画の中には物語の本筋とは別に「裏メッセージ」が隠されているらしい。それはモールス信号による「音」と、1/24秒に1コマだけ挿入されたサブリミナル効果の「画像」。つまり、この作品を見たひとは無意識下で真のメッセージを刷り込まれていたことになる。制作段階から法律家と相談して作り上げたとのこと。
そちらの方面の専門知識がある人はピンとくるかもしれないが、わたしはどちらも全然分からず、未だにとっても気になっています…。
ちなみにこの作品の中で主役の永井悠太郎は毎朝ゴミ拾いをしている。これは紛れもない実話で、彼はこの活動を日課にしている。たまに仲間も集まって一緒にゴミを拾ったり、街の清掃をやったりしています。
<津市の未来を語る伝説のイベント>
この映画は前述のクレームを受けつつ、若い世代の間で口コミやSNSで広がっていき、上映を重ねるごとに、静かに、確実に動員数が増えていった。2回、3回と来場するリピーターも出てきた。
そして映画上映の最終上映日。津市のアンダーグラウンドカルチャーを語る上では欠かせない最重要スポット、manana、お座敷倶楽部、MFPより、代表者の御三方、KANEさん、KAMI☆SHIMOさん、OOSUNをゲスト招いて上映最終回に「FROM THE UNDERGROUND」と題した公開トークイベントがおこなわれた。
津市のカルチャーを語る上で、まちづくりを語る上で、不可欠な存在であるこの三人。アンダーグラウンドのシーンで「ずっとかっこいい先輩」というローカルヒーロー的な人物が必ずいるが、まさにそれ。とにかくまっすぐな感性と最高のバイブスとセンス、そして優しさと柔軟性をもったとても尊敬している先輩たち。実際、たくさんの人々が集う場所となっているし、この三人は津市に留まらず、三重県内外問わずとても広いつながりをもっている。
そんなこんなで彼らが一同に集結するということは津市のミュージシャンやクリエイターたちにとっては大事件。映画の評判もさることながら、この歴史的なイベントをひと目観ようとたくさんの観客が集まった。上映の前から列が出来ていたし、以前見に行った回の3〜4倍の動員で、100人越えだった!す、すごい…!!!
トークはそれぞれのルーツの話、津市という街について、行政に対して思うこと、あとそれぞれが運営する場所の中でさすがに困ったエピソードなども。上映後のトークはとにかくあっという間の時間だった。
最後に質疑応答コーナーがあって、全く3人のことを知らない年配の方が「あなたたちのような個性的な方々がいるということ、活躍されていることを今日知れたのと、お話を聞けてとても嬉しい。これからも頑張ってください。」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。これぞリスペクト。
アンダーグラウンドにおける文化は大衆的な文化とは全く違うけれども、音楽やデザイン、全ての芸術は多数決で素晴らしさが決まるものではないとわたしは思っている。
<まとめ>
小鷹さんと店の外の路上で出会ってから、これまた路上でいろんなお喋りをしたり、ドローンを飛ばす時には同行させてもらって、大門という場所を改めて見たことないところから見下ろしたり、津市においてわたしが好きな人たちや場所をいくつか紹介できたことを嬉しく思っています。
やっぱり何かを思うことの大切さとか、感受性だったり、自分なりの視点というのはとても大事だなと。それはとにかく経験とか出会う人とか、そして様々な価値観や視点、そして芸術に触れて培われるものであるなと思います。
わたしも取りこぼされがちである経験もあるからこそ、そーいうのにちゃんと救われています。
出会った頃は全くこんな展開になることは予想できませんでしたが、こういった形で小鷹拓郎作品に携わることができてとても光栄に思っています。ありがとうございました!
<筆者プロフィール>
MARI
・三重県の津市大門商店街で雑貨屋CORAZONを経営。日本国内のパンクスカルチャーに興味を持ち、ZINEやレコードを収集。